【日々是勉強】塩と急須 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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あるブロガーさんが、うなぎと塩について書かれていた。
この方は、ほぼ毎日うまそうな料理について書かれていらして、私の夕飯代節約になっている。


塩の旨さというのは、五十過ぎて初めて知った。
以前記事にしているが、沖縄の塩は旨い。

勝麟太郎がチンチンを噛まれた時に、親父が塩断ちをしたと聞いたことがある。
事実かどうかはともかく、これは旨いものを絶って、子どもの治癒を神仏に願ったのだろうと感じたのは、比較的最近のことだ。

旨い塩は、それだけでおかずになる。



さて、昨日はまた、新しいことを知った。
あるところでお茶を飲んだ。
そこは水が旨いところだから、お茶も旨いのは知っていた。
「いつもながら旨いね」というと、「いや、こりゃダメだね」とか言いながら自慢の急須を取り出してきて、新たに一杯出された。


おっ!
という感じである。

お茶は変えていないという。なんかの不幸でのお返しものらしい。

が、ひどく旨い。

さらに、二杯を飲んで、さらに驚いた。

香りがすごい。
二杯目にくる苦味もない。
正直、ペットボトルのお茶が飲めなくなるたちのものだ。
実際、そこではペットボトルのお茶は出された時以外は、見向きもしないという。


で、その理由は急須にあるようだ。

私などが使う急須が20個、いや100個くらい買える値段のようだ。



うん。
参った。

そのお茶ならば、店で味わえる味と香りである。



しばらく、ペットボトルがいやになりそうだ。


嬉しいような。
悲しいような。



また、新しいことを教えてもらった。


でも、現実は厳しい。

塩もそうだが、お茶の水も、小ぶりの急須も、はるか遠くにある。