【嫌味記事かも・・・】アルマン | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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ご存知のように、私は歴史の時間は寝るか、早弁するか、英語や数学の内職をしていたので、その基礎知識が無い。


ですから、これから書くことは寝ながらも耳には入れておいたことなので、とんでもない間違いがあるでしょう。


ぜひ、間違い部分のご指摘をお願いします。


問題としているのは、シリアからの移民でもめているようなアルマンのことだ。



私の記憶や耳学問では、こう思っている。



アルマンは第一次世界大戦の負け組である。


だから、喧嘩に勝った国々から相当いじめられた。


例えばこんな感じ。


1;工業中心地ザクセンの一部を、実質フランスなどに取られた(形の上では地元民の意思に基づく投票)


2;アフリカなどにある植民地を取り上げられた。


3;体力をはるかに超える賠償金の支払いを命じられた。


4;多くの国々(主に勝組)から差別対象とされた。


5;多くの武力、武器を破壊または縮小された。


以上は、主にウィーン会議によって決められた。



こうした差別に耐えかねて、アルマンとしての人の心に訴える伍長(一説では一等兵)が現れた。


やがて伍長(一等兵)は、アルマンから大きな支持を受け総統となった。




と、私は思っている。

もちろん、アシュケナジの存在も大きいが、最も影響を与えたのは、西欧や所謂新大陸、特にラテン圏以外の王国・帝国の源国でありながら新興国からいじめられ続け、国民が貧困に苦しみ名誉を傷つけられ続けた。

これが、イタリア生まれのファッショといわれる政治と結びついた。


私はこう考えている。

つまり、現在のシリアからの移民と比較してしまうのは、あまりにも方向違いだ。



そう思っています。


ぜひ、間違いの指摘、不足部分の補完をお願いいたします。






ちなみに、総統自体が移民である。