「ふざけるなーーーーー!」
京電本社の無茶な命令にさえ服したふりをして対策を練っていた、それほど冷静な善田。
その彼が、机を蹴飛ばして怒りをあらわにした。
紅潮した顔。
その手には、馬酔木新聞が握られ、手も体も怒りに震えているのが分かる。
「ふざけてるんじゃねえ、大ウソツキが!」
善田は、また吠えた。
善田は、あの夜のことを思い出していた。
第一には、事務員を含め、皆残っていた。
が、こうなってからは受付嬢はもちろん、経理職員も人事事務員も不要だ。
だいたいここには、女性が連泊する設備はない。
食糧と水も限りがある。
このままでは、1週間ともたない。
現場の男たちは、真っ暗闇の中で雑魚寝をしている。
食事と言ったら、1日2食のカップ麺だけである。
下手するとそれさえ口に入らず、ビスケットを分け合っていた。
馬韓が官邸にカートン単位で生ビールを入れ、ゴライオン・ガールことリャンポーがパフォーマンスコンビニ遊覧会をしていた時にである。
当時の馬韓は、現場への差し入れはおろか、自分は銀座赤坂六本木の高級店を連日連夜食べ歩きに忙しかった。
1食平均5万。
庶民には贅沢すぎる食事である。
場合によっては、20万近いことも少なくなかった。
いいご身分だったんだなと知ったのは、約2年後のこと。
善田があちらに逝く直前のことだった。
部屋中に、汗とすえた臭いが広がっている。
かといって、外界とつながる部屋の窓も開けられない。
それは、放射線のこともあるが、まだ春のうららかさにほど遠い奥州の北風が、疲労困憊した作業員の体力を奪うからだ。
そんな中で、善田は命じた。
現場作業に直接関与しない事務員、特に女性は第二に移動せよと。
第一作業員男子は、2,3の急病人を除き、みな残った。
それがなんだ!この馬酔木新聞は!!!!!。
所員の大半が国の命令に背き、まるで全員が逃げ出したかのような書きぶり。
ふざけるなと思った。
バカを言うんじゃない。
皆必死の覚悟で作業に当たっていた。
あのケーブルは、だれが運んだと思っているのだ!
保田野の家族などのように、南国に逃げたりはしていない。
冗談も休み休み言え。
善田は、馬酔木新聞をびりびりに破った。
許さん!
三途の川の向こうからでも呪ってやる。
善田はそう思っていた。