今回は、極めて真面目な記事です。
同時に、文系の方には、かなり難しい内容かもしれません。
でも、最後まで我慢して読めば、物理学とは関係のない、もっと単純な話だと分かるはずです。
高校までは、原子核の周りを電子が回っている。
そんな風に教えられます。
これを古典物理学といい、現在では事実とは異なると分かっていますが、大まかな原子やそれに付随する反応を説明しやすいために、間違っているのを承知で、現在もこうした古典物理学から学び始めます。
ただし、こうした古典物理学をすべてだと鵜呑みにしてしまうと、ニュートン物理学から抜け出すことができず、すべてのものを、デジタル思考把握してしまう危険性を含んでいます。
さらに、これを発展させると、人生さえ予測可能なものになってしまいます。
しかしながら、それは現実的ではありません。
だいたい、原子核の周りを電子が回っているという考えでは、シュレディンガーの猫やホーキング博士のブラックホール消滅理論を理解することも難しい可能性があります。
ましてや、ひも理論などは最初から受け付けないでしょう。
また、そうした考えですと、ニュートリノだのという素粒子世界の話にはついていけないかもしれません。
さて、私がここで言いたかったことは、実は物理学の話ではありません。
自分の見方こそが正しいという見方は、大変危険だということです。
私は科学を信じていますが、それさえ危ないかもしれません。
神絶対論者にとっては、私の考えこそ間違っていることになるのでしょうね。
これは極端な話ですが、似たり寄ったりのことは、よくあります。
生物や化学の世界ですら、まだまだ未知に溢れています。
ましてや物理など、何も分かっていないかもしれません。
過去の話、つまり歴史など分かるはずがありません。
わずか10年、20年前までは国が率先してしていたことさえ頬かむりし(民間レベルでは、現在も作業中)、70年以上昔の他人のことを罵るところさえありますからね。
ただし、捏造の可能性が極めて高い資料を証拠とすることは、たぶん間違いでしょうね。
5分前と逆のことを、平気で言う人もいるかもしれませんよ。
紳士的な外務大臣は、言葉ではなくファイルを閉じるや席を立つのにひどく時間をかけて抗議の態度を示したりしていますが。
他の国では、そうではないことが普通でしょうね。