【神話探訪】檀君 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私は神話やSFが大好きである。
学生時代は一応理系で、古文を除けば文学や歴史には全く興味がなかった。

でも、神話や伝説、あるいはSFは好きだったから、こうした話はよく読んだ。


ただ、それは主に旧約やギリシャ神話など、ほとんどが西洋の物語だった。


最近、やっとラテンアメリカや東洋の神話をかじり始めたところである。



漢人にも神話があって、日本神話ほどではないが、どこかしらギリシャ神話に似ていたりする。

一方、朝鮮半島の神話は満州的なにおいがする。

あちらの義務教育では南北とも史実として扱っている檀君などは、その代表だろう。

神話と言ったが、檀君というのは昔からの伝説にあったのではなく、比較的最近作られた話の主人公だ。

檀とは白檀や黒檀などの檀であり、仏教にも深く関与しているようだ。

ただ、神が獣から生まれたり卵から生まれたりするのは、ツングース、満州などシベリア東北地方に同じだ。
韓国人の方々は、公の場でその存在を否定することはできないだろう。

だから、寿命が1908歳ということにも言及してはならないだろう。

いや、確かあちらの教科書には、このギネスブックの最初に載っておかしくはない長寿王なのに、その年齢を明記していたかどうか定かではない。


その後をついだと語られている箕子朝鮮もまた、実在したものかどうかはわからない。

ある程度朝鮮半島の記述が見られるのは、漢や魏の郡になった紀元前後からではなかろか。

また、仮に漢や魏の記載や伝承などを信じるならば、箕子朝鮮は殷の末裔の一派とも言える。
これは、現在の朝鮮民族のY染色体ハプログループ比を見れば、かなり事実に近いような気がする。
つまり、朝鮮民族というのは現在の漢民族にかなり近いということだ。
現在の日本人の源である可能性は、Y遺伝子を見る限り極めて少ない。

もっとも、こうした神話は科学的に考えてはいけない。

それは日本神話にしても、西洋の神話にしても同じだ。


神話は神話だから面白い。

科学的にいちゃもんをつけるのは野暮である。


が、それを神話ではなく事実としてしまうなら、これは話は別だ。



昨日の記事に書いたように、南京百人斬りとかは新聞社の作った神話である。

が、それを事実としたために、無実の2人の命がなくなっている。
その新聞記事が証拠となり、主人公が死刑判決を受けたのだから。


が、毎日新聞のように『新聞には事実を報道する義務はない』といったことを言うマスコミもある。



南京で思い出したが、南京大虐殺写真とかにインチキ写真があることは有名で、親分たる本多勝一氏も誤りを認めていたはず。

これも、『報道写真に事実を掲載する義務はない』から、インチキ写真を載せてもかまわないと考えているからでしょうか。


こうしたインチキ報道がたくさんあっても、あるいは支局長自ら捏造作文して報道することがあっても、一部読者は、それを事実ととらえてしまいます。

若い頃の私はそうでした。

が、ブログなどを見ると、いまだにこうした神話小説報道を【事実】として記事にされている方々を見ます。

私にとっては、比較的最近作られた神話の主人公である檀君の存在を頑なに信じるとある宗教団体にも似て見えたりします。

神話も宗教も大切でしょう。


しかし、事実かどうかを考えることもまた大切だ。


そう、考えています。





日本語の理解が足りない方々の為に、もう一度言います。


私は、神話や伝説は大切に守るべきだと考えています。

しかし、それを事実としてマスコミなどが報道し、多くの無垢な方々を信じこませ、誤った思考に導いたり、半分故意の殺人を犯すようなことには反対です。

日本人は極めて優しい民族集団です。
情にもろいです。
ですから、情に訴える報道を信じてしまいがちです。

また、私の感覚では、日本では泥棒や詐欺は悪いという感覚です。また嘘をつくことも悪いことです。

それが常識になっています。


しかし世の中には、誰かの言葉を借りれば『息をするように嘘をつく』人たちもいます。
嘘を指摘するのが嫌になるくらいの話を、いかにも事実のように話す人は、確かにいます。

これは私自身、よく知っています。


残念ながら、こうしたものは10年や20年では変わりそうにありません。

また、代々教育という形でそれが継承されてしまったりします。

むごいことです。



でも、そうした現実があることも知っておくべきです。

私はそうしたものの存在を、相当な年になるまで知りませんでした。

世界中の人たちはみな、殺人や泥棒は悪いこととの認識があるだろうという、日本では常識のせまい見方しかできなかったからです。


嘘を平気でつき、それを正当化する人たちもいる。

これは知っておくべきでしょう。

若いころ話には聞きましたが、当時はなんと差別的な人だと言う反感しか持てませんでした。

若かったと思います。



同じミスは、繰り返すべきではありません。



そう思っています。