【縄文海進】その13;南九州&高千穂・西都原 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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縄文海進とは、縄文時代の一時期地球が温暖化し、海水が現在より50m位上昇していたと思われることのことです。 こうした海進は、小規模ながら古墳時代や平安後期にもあったと考えられています。 かつての海岸近くには、現在もその名残として海が近かったと推測できる地名が残っています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


南九州は古代神話の多いところだ。

天孫と言われるニニギが降り立ったのは、高千穂とされている。

また、神武東征の出発点となったのが日向であり、これは西都原古墳付近が有力視されている。

私の良くお邪魔するブロガーさんは、この西都原付近を邪馬台国に比定している。


南九州は、津軽とならび世界でも最初の方に土器文明が発達した場所であり、7500年も昔の地層から義務教育では弥生式土器と教えている型の土器が発見されている。

しかし、この事実は一部歴史学者には都合が悪いからだろうか。義務教育で触れることはまずない。


義務教育の歴史では、弥生時代に中国や半島経由で稲作が伝わったような、全く非科学的な話がまかりとおっている場合がある。

イネの遺伝子を調べればわかるのだが、日本から半島に伝わったということはほぼ確実であるにもかかわらずである。


また民族の流れに関しても、遺伝子を無視した頓珍漢な話がある。

ひどいものだ。