このシリーズの最終回。
一番下のラインです。
ここは、俗称・魏志倭人伝や古事記などの古い文献に載る物が多い古代の要所です。
ではやはり、左から順に見ていきます。
1;吉野ヶ里遺跡
俗称・魏志倭人伝に出てくる邪馬台国とも言われている、大きな環濠のある遺跡のある場所です。
俗称・魏志倭人伝を素直に読めば、邪馬台国は佐賀平野から菊池平野、頑張っても八代平野あたりまででしょう。
そういう意味では、邪馬台国そのものではないかもしれませんが、それに非常に近い集落と思われます。
2;宇佐神宮
道鏡事件でもわかる通り、飛鳥・奈良時代あたりまでは、伊勢神宮をもしのぐ日本では最高の社でした。
宇佐神宮はもともと今の場所にあったわけではありませんが、このアンビリーバブルラインズ上に位置しています。
この神社と応神や物部氏との関係を研究することが、日本の成り立ちを知るうえで非常に重要でしょう。
3;国東(くにさき)
国東と書いて、クニサキとはふつうは読みません。
これは当て字と分かります。
しかも、古代から開けていた場所でもあり、昔からの名前であることも推測できます。
俗称・魏志倭人伝では邪馬台国連合に関して、「その東数十kmのところにも国があり、ここにも日本人が住んでいる」と言った内容の記載があります。
この邪馬台国連合の東の果て、つまり国の東がこの場所であるとすると、確かに東数十kmに四国がありますから、理解しやすくなります。
つまり国の東、そのさきにまた国がある。だから国東でクニサキ。
だから国東と書いてクニサキと読ませたのかな、と想像しました。
なお、国東は古代から宗教に深い関係があり磨崖仏でお知られていますが、実は日本のマルコポーロと称される日本人で、日本人では最初にイスラエルを訪問した安土桃山から江戸初期の人物も、ここの出身です。
4;道後温泉
記紀に書かれている、日本最初の温泉として有名です。
もちろんこれは、記述にある温泉としては最初という意味であり、温泉自体はサルの時代から浸かっていたでしょう。
5;伊予三島・川之江
特にここは、歴史的には大きな意味は有りません。→訂正;大有りでした!
私のすぐ近い先祖は信州あたりなのですが、はるか昔のご先祖様はこのあたりいたことがあるらしく、なんとなく入れただけです。
三島は、静岡の三島神社が有名ですが、もともとはこの伊予三島が関係している気もします。
ちなみは、私の苗字は三島ではありません。
★追記
少し調べて面白いことが分かった。
日本にある国宝級甲冑の4割が、なんとここ三島・大山祇神に集まっているらしい。
なお、お隣大評判の映画『鳴梁』の予告版を見ると、この大三島水軍が憎き敵の代表として出てきそうである。
その水軍とは関係なさそうだが、この映画にご先祖様と同じものを見つけた。
この三島は、なかなか奥が深そうだ。
三島・大山祇紙は、著名武士だけでなく、東郷平八郎も祈願しているようだ。
6;鳴門
古事記において、最初に生まれたのは(←大王が征服したのは)淡路島でした。
この渦潮ははるか昔から知られており、奈良大和入りする大きな障害でもありました。
なお、国造りに藻塩が深く関連することから、この淡路島から明石・赤穂付近が大王のご先祖様に深く関与するとも考えられます。
つまり古事記など移おける記載は、淡路勢力、出雲勢力、元大和勢力、九州勢力、常陸勢力などの伝承を一つにまとめてしまった、とも考えられます。
私は、昔からそう考えています。
7;飛鳥・吉野
飛鳥は言わずと知れた元大王国の都。
一方吉野は、室町初期の南北朝時代の都というだけではなく、皇族の隠居する場所でもあった。
熊野から吉野、飛鳥、奈良へと続く道は、神武東征伝説を思い起こさせる。
吉野=良野であったろう。
飛鳥という文字は、どう考えてもアスカと読めない。
しかしこれをエジプト語で考えると、実にスムーズに理解できる。
パッ=飛び立つ ス=鳥など カー=神鳥 だからだ。
8;伊勢
おそらく奈良以降は、日本で最大最高の大王家の守り神。
出雲大社とは対をなすものだろう。
ここの神鏡である八咫鏡には、多くの謎があるようだ。
しかし、この謎はあえて明らかにしない方が良い気もする。
謎は、解明することだけがいいこととは限らないからだ。
夢を持たせるためにも、少しの謎はあっていいと思う。
でも正直、内緒で知りたいけどね。
9;ヤマトタケル草薙剣で有名な焼津。
古代から開けた場所だ。
偶然、登呂遺跡も近い。
また、東照宮といえば日光が有名だが、徳川家の本来の東照宮は、ここ久能山東照宮だ。
チベット仏教的な発想をすると、東照宮を日光に移動した気持ちはなんとなくわかる。
なお、日光の明智平はよく話題になるが、なんか変な発想をしている人もいるようだ。
もっとも、私もファンタジーとしてはそうした面白い論を楽しんではいるが。
お隣さんのファンタジードラマも、私は好きだ。
が、これもファンタジーとして楽しんでいる。
わずか数行記事が、1時間ドラマ50本分に化けてしまうのだから、事実かどうかは考えるまでもない。
しかし、あちらの大ヒット作『鳴梁』のように、歴史映画やドラマとして観てしまう方もいるのだろう。
いや、『鳴梁』に関してのあちらのマスコミを見ると、いかにも事実として論評している新聞などがあった。
不思議な歴史感覚をお持ちのようである。
もちろん、それはほんの一例にすぎないが。
安重根さんに関しても、当該国の庶民の方はどんな階級のどんな方だったか知っているのだろうか。
また、殺した相手はどんな考えだったか知っているのだろうか。
はなはだ疑問である。