【コダイ妄想】アンビリーバブルラインズ その3;源平ライン | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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さて、上から3番目のラインです。

これも、左から順に説明していきます。

このラインは、福岡・神戸・大阪・名古屋・横浜の現100万都市を結ぶラインになっていると同時に、西には平清盛と密接に関わる都市、東には源氏と深く関わりを持つ場所も混在するラインです。






1;大宰府と博多

九州一の官舎のあった場所で、今でいえば出入国管理総合事務所や自衛隊駐屯基地、外国大使館などがあった場所と言えるかもしれません。

日本最大の総合防衛機関のおかれた場所です。

ここには古来、全国から人を招集していました。

すぐ北の福岡市付近を邪馬台国に比定する説もありますが、これはいささか無理がありそうです。

現在大宰府は、菅原道真伝説から学問の神様にもなっています。


なお、現在100万都市になった福岡は、もともとは平清盛日宋貿易繁栄のために拡張した港。








2;金毘羅宮・崇徳天皇

金毘羅の名前の由来はクビラ(十二神将の中心的神で、日本では仏教とつながったりしているが、本来はインド・ヒンドゥーの神)に由来するようだ。

しかし、ここの主祭神は大物主(大国主と同一とされる場合が多い)と魔王との称される崇徳天皇だ。


さらに、このライン上にある坂出は、崇徳天皇の御陵があるところだ。

崇徳院の怨念は数百年間朝廷を悩ましている。

明治維新の際には、崇徳天皇が亡くなり700年近くたっているにもかかわらず、明治天皇はここに勅使を送って京都に霊を迎え入れてから即位をしている。

これは、崇徳天皇の怨念が平氏や源氏などの武士を台頭させ、やがて源頼朝が朝廷に代って政治を司るようになったと考えられていたからだ。

明治まで陰陽寮は存在していた。

現在は、気象庁と名前を変えています。








3;小豆島・屋島

現在はオリーブ栽培で知られる瀬戸内海の穏やかな島だが、かつては大国があり朝廷側はここの勢力を抑えるのに苦慮したであろうことが古事記などから読み取れる。

桃太郎伝説の鬼ヶ島は別にあるが、この伝説の元になったのがこのあたりの国の勢力との戦いだったのではなかろうか。

瀬戸内海交通の要所でもある。

また、室町中期までは朝廷領であり、その後も天領であったこともある。

それだけ重要な意味のある島だったのだろう。

那須与一の扇を射る話で有名な、源平の戦いの場である屋島もこのライン上で小豆島のすぐ近く。






4;大輪田泊

平清盛が開いた、当時日本最大の国際港である大輪田。

おそらく、世界的にも大きな方だったのではないだろうか。

これが後に兵庫港と呼ばれるようになり、現在の県名になっている。

また、神戸が現在の形にまで発展したのも、おそらく大輪田泊が大きく関与しているだろう。


神戸は、12世紀から国際港になっていた。

なお、源平の戦いで平氏の敗戦が見えてきた一の谷の戦いの場でもある。








5;大阪

古来、逢坂と歌にも詠まれていた地。

ただし、逢坂は奈良や滋賀にもあるので、歌に詠まれた逢坂がすべて現在の大阪とは言えないだろう。

逢坂は後に大坂となった。

しかし、義務教育の歴史のテストでこの漢字を書くと、xにする先生が多いと思われる。


現在もそうだが、大阪は商人の町として知られていたようだ。

南部の堺は、安土桃山時代には世界でも有数の自由都市。

日本が中国大陸のように、列強の植民地などにならなかったのは、この堺商人の力によるところが大きい。堺商人たちの知恵で日本は世界一の軍事大国になっていたために、江戸時代末までは欧米の列強も怖くて手を出せなかった。

かつては、河内源氏の本領でもあった。








6;奈良

短い期間だが、古都があった場所。

日本固有の文化が花開いたのは平安時代、唐との交流を絶ってからだが、その基礎はこの奈良で築かれた。

奈良大仏は当時世界最大の仏像。

それのある東大寺は、現在でも世界最大の木造建築だ。

第3のラインからはやや南にずれるが、それでも10km程度である。

なお、奈良の都が京都に移されたのは、朝廷内部の権力争いと周辺勢力整理が主だろう。

源頼朝では、戦乱で荒れた東大寺の復興の最大の支援者だ。









7;名護屋

現在の名古屋だ。

名前から分かるように、ここは防衛基地のひとつであり、昔は大海人皇子(のちの天武天皇)の地盤でも

あった。

三種の神器のひとつ草薙剣が保管されている熱田神宮は、古代勢力と大きく関係するだろう。

ヤマトタケルが亡くなるのは、ここから鈴鹿に向かう山中である。

このあたりの記事は、地元勢力との何らかの争いを暗示しているのかもしれない。

熱田神宮は、源頼朝の母の出身地であり、ここで頼朝も誕生したとの伝承があります。










8;不死山

竹取翁物語では、富士山をこんな風に記載しています。

これはかぐや姫からもらった不死の薬を、かぐや姫がいなくては不死になっても仕方がないと老夫婦が富士山で焼いてしまったことからという伝説によるものです。


これからわかるように、当時の富士山は噴煙を上げていたのでしょう。

富士山は単に霊峰というだけではなく、江戸時代に広まった浅間信仰のご神体です。

今も全国にある浅間山(あさまやま、せんげんやま等)はこの富士山信仰から付けられた名前でしょう。

平氏の衰退のきっかけとなった富士川の戦いの場にも近い。











9;鎌倉


武士社会を築いた、源頼朝が日本初の幕府を開いた場所です。

この付近は、古事記を読む限りにおいて、ヤマトタケル時代に反朝廷勢力があった地域です。

鎌倉の地は天然の防塞を持っているともいえますが、津波には弱く、鎌倉大仏が裸になってしまった(現在は、東大寺の大仏のように寺の中に安置れていない)のは、津波で仏殿がながされてしまったからのようです。

金沢文庫は、足利学校のことが頭にあって建てたものかもしれません。

富士山と鎌倉の間にある足柄も、源家に深く関わります。










  


10;横浜

日本第2の大都市。

東京・川崎などを含み大メガロポリスを形成している。

このラインには、先に述べたように、福岡・神戸・大阪・名古屋・横浜と100万都市並びに、国内屈指の港が並んでいる。

源頼朝が安房一宮の霊を写した、洲崎神社がある。

横浜が現在のように発展したのは開国以降だが、横浜の港を最初に整備したのは源頼朝であるという説がある。










ということで、偶然ですが源平に深く関わる地が、このライン上にあります。