あるブロガーさんも書いているが、今回のイスラム国の身代金要求には応じるべきではない。
日本はかつて、ハイジャック犯人との交渉において金で解決し世界から大きなパッシングを受けた歴史がある。
単にパッシングを受けただけなら、大したことではないかもしれない。
問題は、身代金を使って新たなテロを引き起こし何ら罪のない多くの命が失われたということだ。
さらに、この両名はもともと日本国外務省から退避勧告指定されている場所に自ら行っている。
つまり、それなりの覚悟で行っているはず。
言い方に問題はあるかもしれないが、自業自得である。
かなり昔のことだが、多くの一般日本人がイランに残された時に日本政府は、馬鹿な戦争反対派の意見だか組合の反対だかで、日本人救助のための飛行機さえ飛ばせなかった。
トルコが、はるか昔の日本への恩を忘れず命を懸けて飛行機を飛ばしてくれた。
この時のトルコの対応がすごい。
自国民よりも日本人の救助を優先させてくれている。
しかも、それに対して、トルコ人からは反論がなかったという。
こうしてくれたのはひとえに、日本人の先達の優しさである。
日本人が、明治時代にトルコ人を助けていた。
その恩返しということだ。
ロシアも、日露戦争の時の日本人のロシア人捕虜に対する恩義を忘れていないという。
日本人や日本をどうしても悪者にしたい特定国があるが、その国の人たちでも日本人に対して文句を言っていたのはごくわずかのはずで、ほとんどが感謝していたりしたはずだ。
たとえば朝鮮半島では奴隷解放をし、人間でなかった人たちを人間にしている。
また中国では、ほとんどの庶民には日本軍は感謝されていた。
これは、当時の朝日新聞などに詳しいし、南京虐殺の書簡を集めたとされている元朝日新聞主筆本多氏の監修した皇軍日記集にも詳しく書かれている。
これを知ってほしい。
かつては、数百名の民間人の命さえ無視したのだ。
今回は、行ってはダメと勧告の出ているところに行った2人である。
どんな事態になるかはわかっていたはず。
そうした人物を救うために金を出し、新たな数百、数千人の命を奪うことにある資金を与えてはならない。
冷たい話だが、現実にはそう思う。
外国に残された数百名の民間人の命より、自ら危険地帯に行った2名の命のが大切とは思えない。
また、さらなる罪なき犠牲者を増すことに協力してはいけない。
そう思う。