【自己流音声学・補足】具体的に | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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昨日記事にした、自己流音声学についての具体的補足です。

音の混同というのは、海外・日本を問わずよくあることだ。
西欧南部の言語の多くはラテン語から分かれていったものであり、それはインドのサンスクリット語とも深い関係がありそうだ。

でも海外の言葉は分かりにくいので、まずは日本語で考えてみよう。


音の混同でよく知られているのが、mとbの混同だ。特にそれは方言に顕著で、文字の音と実際に口にする音が違っていたりする。
・寒い=さむい /さぶい
・煙い=けむい/けぶい
・黍団子=きびだんご/きみだんご


昨日話題にしたnとgの混同では、

・死にたくない=しにたくない/しぎたくない(方言)

日本語の場合は、多少音の混同があっても寛容だ。
現代日本語というのは、ある見方をすれば世界トップレベルの寛容さがあるが、見方を変えれば、それだけいい加減な言葉とも言える。とにかく、何でもありに近い。
フランスなどは法律で言葉を規制しており、アナウンサーが誤ったフランス語や外来語を使ったりしたら、かなりの問題になる。
一方日本では、アナウンサーがいかに日本語を知らないかを番組にしたりしてしまっている。
どっちが良いとか悪いとかは言えないだろうが、私には日本のそうした番組に笑いは出ず、腹が立ったりする。


さて、話を戻そう。

日本語では音の混同でいさかいになることは、あまりないだろう。
しかし、国や民族によっては、そうとばかりも言えない。

日本語で軽い気持ちで「バカだなあ」と言って、お腹に穴が空く場合もある。
また、お隣あたりで、

・あなたは私のaniのような存在だ

と言った場合と、

・あなたは私のagiのような存在だ


と言った(相手が聞こえてしまった)場合では、意味は正反対に近い。
いや、それ以上だろうから、大変な勘違いからもめ事になったりするだろう。