所謂【魏志倭人伝】その31 再度の遣魏使とお返し | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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その4年に、倭王はまた大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わして、生口・倭錦・絳青縑・緜衣・帛布・丹・木弣 ・短弓矢を献上した。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を賜る。


その年の4年というのは、正始4年だから、西暦だと243年だろう。

このときも、奴隷や木綿布やら朱などの特産品、弓など武器を送ったら、遣いにはそれなりの身分と印綬が下賜されたということだな。



その6年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、 郡に付して仮授せしむ。


正始6年には、最初の遣魏使の長官である難升米に対して、帯方郡を介して黄色い旗を送ったという記事だ。

さらりと流し読みしてしまいそうだが、ここも注目に値するぞ。

中原で黄色というのは、特別な意味を持つ。

あちらの伝説の三大神のひとつに、黄帝という神がいらっしゃる。

黄色は、最上級を意味するものでもあり、当時は容易に旗には使えない。

使えるのはせいぜい皇帝ぐらいだったろう。

その黄色い旗を、辺境の倭の大臣に送ったのだよ。

ここはあまり注目されていないが、非常に重要なところだわなあ。



その年の8年。太守王頎が官にやってきた。


さて、ここからが、いわゆる魏志倭人伝、より正確にいうと三国志・魏志・巻三十・東夷伝・倭人(の条)のクライマックスだ。

あと、2、3回でなんとかこのシリーズを終われそう。





つづきは、次回。




★蛇足

黒田家が、その存在を秘した島。

沖ノ島(現在は、全島神域)



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