その4年に、倭王はまた大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わして、生口・倭錦・絳青縑・緜衣・帛布・丹・木弣 ・短弓矢を献上した。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を賜る。
その年の4年というのは、正始4年だから、西暦だと243年だろう。
このときも、奴隷や木綿布やら朱などの特産品、弓など武器を送ったら、遣いにはそれなりの身分と印綬が下賜されたということだな。
その6年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、 郡に付して仮授せしむ。
正始6年には、最初の遣魏使の長官である難升米に対して、帯方郡を介して黄色い旗を送ったという記事だ。
さらりと流し読みしてしまいそうだが、ここも注目に値するぞ。
中原で黄色というのは、特別な意味を持つ。
あちらの伝説の三大神のひとつに、黄帝という神がいらっしゃる。
黄色は、最上級を意味するものでもあり、当時は容易に旗には使えない。
使えるのはせいぜい皇帝ぐらいだったろう。
その黄色い旗を、辺境の倭の大臣に送ったのだよ。
ここはあまり注目されていないが、非常に重要なところだわなあ。
その年の8年。太守王頎が官にやってきた。
さて、ここからが、いわゆる魏志倭人伝、より正確にいうと三国志・魏志・巻三十・東夷伝・倭人(の条)のクライマックスだ。
あと、2、3回でなんとかこのシリーズを終われそう。
つづきは、次回。
★蛇足
黒田家が、その存在を秘した島。
沖ノ島(現在は、全島神域)