さて、今日は魏の明帝から卑弥呼への親書の最終回だ。
ここもまた、大きな議論となっているところだ。
上の画像の、2行目下のあたりから見ていくぞ。
また、特にあなたには紺地句文錦三匹、細班華屬五張、白絹二十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各々五十斤を封印して、難升米と牛利に託し渡す。
両者が国に還りついたなら、目録を確認して受け取りなさい。
また、これらすべてを国中の人々に教えて、我が国があなたのことを慮っていることを知らせなさい。
このようなわけで、あなたに対してその好物を送り、丁重なとりなしをするものである。
前回以上に、気前のいいところを見せている。
これは卑弥呼への贈り物だ。
細かい内容は分からなくとも、銅鏡百枚という記事は注目すべきだろうな。
当時最先端科学の結晶である銅鏡を、100枚も与えている。
そこで、一部の学者たちの中に、景初初期の年号の入った銅鏡が見つかればそこが邪馬台国だといった短絡的な論も生まれてくる。
しかし、こんな考えはどうかな。
これだけもらえば、その権威と友好のために臣下に下賜する場合もあるだろう。
また、別の国が邪馬台国を侵略した場合には、これを持ち去る場合もあるだろう。
だから、仮に景初初期の年号の入った銅鏡が大量に発見されても、そこが邪馬台国だったとは断定できないと言えないかい。
たとえば、もし現在のような記録がなかったなら、ずっとのちの人類が東京を発掘した時に、そこを長らく日本の都だった京都と勘違いしてしまうこともあるからね。