【記憶】古文の先生と原爆、早逝した友人 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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きなふは、あきづしまにはぢめてくわくぶんれつばくだんの落とされし日なり。

今は昔。
われがいまだかうかうせいの時なり。
古文を教へたまひしあいづの出で侍りたるししやうあり。
かれはあいづの出ゆゑにかかるひなにて育ち侍らむとおぼへし。
十年をひと昔といふならば、ふた昔ほどまへのことにやあらむ。
かれの広島にゐて、かかるぴかどんにあひたるひとなりしことを知る。
われは理系にて文学などのほとんどきやうみなきが、古文にばかりはきやうみをいだきたるは、かの御方のあり侍りしゆゑなり。

まさにあいず武者に似て、曲がりしことは許さず。その教へ立ち居などのあらまほしかな。

きやうべんをとりたるを辞めて後、ぴかどんにあひしことをひななる新聞に載りしを知る。
泣き言は許さぬ御方に侍りたまひしが、御自らにもきびしうあられ冬のいとつべたきつとめて、足のいささかひきづりたるも痛きかほの見せるはなし。


われくわいぐわいよりひのもと戻りて、しばし寺子屋のわかきを教へしことありき。
ここにかのぴかどんにあひたる師にきはめてにたるをのこの師ゐたり。
やはりあいづだんしなり。 やはり、かたぶつにて三十路をはるかに越へしもいまだいもなるはあらず。
ぴかどんなる師と、この師のきはめて似たることありがたき。

ひと昔ほど前。
賀状戻らざることあり。
正月に、彼の鬼になりしことを、師の弟なる女の便りにて知る。

あまりにも早き。
まだ還暦にさへ届かぬ。
いと惜しき。



はづきむひかには、かくなるを思ひ侍りさぶらふ。