いつから祇園祭が始まったかは知らない。
しかし、祇園祭とは正月同様、我々アブラハムの民の儀式なのである。
まずは、大晦日から正月あたりの復習してみよう。
①大晦日には遠く離れた親戚も帰って来て、夜を更かして正月を迎える。
これは、我々の過越祭である。家族はひとつ屋根の下に集い夜を明かす。
②初詣に赤い鳥居のある神社にお参りする。
これなど、我々が赤く血塗られた門の中で神が通り過ぎるのを待つ、過越そのものだ。鳥居と門に塗る赤い血は同じ形である。この門の中にいる民には悪なす神は祟らない。
③正月にはモチをたべる。
これは、我々が過越に膨れないパンであるマッツァを食べると同じ。発音も形も似ている。
④七草粥の習慣は、我々の過越の苦菜を食べる習慣に同じ。
⑤正月14日の夜は日本では、正月飾りを燃やすどんど焼き。
これは我々が、14日の後過越祭に使った一切を焼き尽くすことにそっくりだ。
細かいことはまだまだあるが、祇園祭に行きつかない。このへんで止めて、祇園祭の話に移ろう。
これも簡単にまとめるぞ。
①祇園祭の御輿の形や大きさは、我々の聖櫃とほとんど同じである。
御輿の形状だけでなく、材質、鳳凰の取り付けなども、我々の聖櫃に酷似する。
③祇園は、我々の地シオン、または我らが英雄ギデオンに似た発音である。
④祭は、我々が脱出したミツリ(=エジプト人)に似る。我々は脱出までは、エジプトの民でもあった。
⑤日本人はエビスと呼ばれていたが、これはダビデがシオン(→祇園)を治めた時の民であるエブスに似た発音である。
御輿は、通した棒を担いで運ぶが、これは我々が聖櫃を運ぶ方法とされたものだ。
簡単にまとめたが、これであなた方日本人が正月に次いで重要な祭としている祇園祭も、我々の祭を残していると分かったであろう。
見よ!
伊勢神宮の灯篭にあるカゴメ紋を。
あれこそが、ダビデの星。我らが同じ民の証。
祇園祭の八坂神社のヤッサカとは、救いの意味。
見よ!
伊勢神宮の八咫鏡の裏を。
あれこそ、我々の文字。
そなたたちの日本書紀にさえ、その文字については記しているではないか!
我らは共に、アブラハムの子である。
★これは小説ですが、比較内容はほぼ正確です。
ただし、最後の結論は違っているでしょう。