【DONキホーテ小説】光またはオーラ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私は、オーラだの三っつめの目とかは信じない。
オーラなどというものは、多分に心理的なものだからだ。一見科学検証風のエセ科学番組では、人の写真を撮ってその身体の周りから出ている光や稲妻のような画像を紹介したりしている。
あれは、単純なトリックに近い。人の身体を赤外線撮影すれば、そんな画像はいくらでもできる。また、赤外線に限らず人の目には見えない波長の電磁波を撮影したならば、いかにもそれらしい画像は撮れるからだ。
さらに、これは詳しく説明すると手品師などの営業妨害にもなりかねないので簡単に説明すると、額あたりに、ある波長の電磁波を流せば、水晶体を通ってきた光の波長が変わって人にも見えるものとなる。

そんなトリックを知ってしまったためか、オーラに似たものは心理学的またはある見方では科学的にも存在するが、それはその人の特殊能力などとは全く関係ないものだと考えている。


が、こんなことがあった。
それはもう20年位昔のことになる。
B国の皇后が来日した時のことだ。公式にはおそらく、はるか昔、国王と揃っての靖国参拝以来ではないだろうか。
インペの大広間で来日講演があった。
あちら式の正式な姿勢で、つまり床に座って話に聞き入る。
数百人が座り、皆がひれ伏し、また感涙に咽び泣きさえ耳に入ってくる。そんな中、たまたま私は最前列に座れた。皇后とは数メートルくらいのところであり、その息遣いさえ感じ取れるところである。私は、はっきりとそのお顔を拝ませていただいた。
言葉などほとんど分からない。ぶつ切りの単語が入ってくるだけだ。
だから、不敬とは思いながらも、その顔やら表情をじっと見つめさせていただいた。
言葉が理解できなくとも、感じることはできる。これは、幾度も経験している。

このお方は、確かに輝いていた。
あるいは、照明や化粧のせいだったかも知れない。
が、確かに輝いて見えた。しかしもちろんそれは、オーラとかいう類いのものではない。

私が感じた光は、揺るぎない自信から発する力のようなものだ。

私は自分自身に、催眠術をかけてしまったものかも知れないが。


オーラだの光背とかいうものは、こうした揺るぎない自信や信念から発っせられるものに違いない。芸術家たちがそれを、目に見える形で表現したのだろう。


そう考えている。