俺が生まれだのは、しもづげのはづれ。なんとかさんぢっつう猪だの狐だのがいだ山のふもどだ。
小学五年生んなっと、東山分校と岡山分校のながまが入ってきで、少しばっかながまがふえだ。
ほんでもって、中学生んなっと多々良小学校と琵琶沼小学校の連中もやってくっこどんなってた。
分校までは一里もねえがら、五年生になる前っから知ってるやづらが多がったけんども、多々良小と琵琶沼小は一里以上離れてっから、知ってるやづはいながった。
ただ、多々良小には戸●組の組長の息子がいるっつうのは知ってだ。
小学六年生の秋だった。
春にいぐ中学校の運動会に行った時だった。
「おひけえなすって」
小柄だががっちりした体格の、かなり薄黒い男が俺の前にやってきて腰を曲げ右手を伸ばして、上目遣いに俺を見た。
当時俺たちにはやっていた挨拶だったから、俺も腰を少し曲げた。
その見知らぬ男がこう言った。
「早速おひけえなさってありがとうごぜえやす。手前生国と発しますは、関東でごぜえやす。関東、関東と言いやしても、いささか広うござんす。関東は関東でも、あらとうとの日光結構コケコッコ、合わせてコケコケケッコッコーのしもづげの生まれにごぜえやす。しもづげ、しもづげと言いやしても、いささか広うござんす……」
そんな、フーテンの寅さん映画のような世界があっただよ。
結局そいつは戸●組組長の息子で、多々良小の番長だった。
私をどっかの番長と勘違いして挨拶をしてきたらしいことは、少し後で分かった。
そいつは中学生になってしょっちゅう喧嘩をしていたが、弱い者にはけして手を出さなかった。
いや、むしろ弱い者は庇っていた。
私の小学校の同級生にも、戸●組ではない別の組の娘さんがいたが、この2人も変な喧嘩をしている姿を見たことはなかった。
今は、こうした人たちはどうしているのだろう。
うちの田舎では、なんとか組の組長の息子だろうが娘だろうが、なんら変な目では見ていなかった気がする。
怒るとこわいなあくらいだ。
だいたい、それより先生のがおっかなかったし。
そんな小中時代だった。