
私は見たくなる派
我が国の文学を語る場合に、まず挙げるべきは古事記であろう。
ご存知のように、古事記は人類愛を高らかにうたいあげている。と同時に、若者たちの性教育の為に作られた教科書であるとも言える。
ただし、古代において漢字を読める人は限られていたため、神楽がその代用とされていた。
神楽kaguraとはmagurahの訛りであり、本来はmagurahiつまり、maguwai(交ぐ合い)のことである。後世になり目交とされたが、古代文学において目交とは、まさに交ぐ合いを意味した。
このような、五穀豊穣、子孫繁栄を願う心は、現代の歌にも引き継がれている。
今回は、そうした2、3の例を挙げ、元歌とされるものと比べてみよう。
★かごめ
かごめ かごめ
→古語;かのね かのね(彼の根 彼の根)
かごのなかのとりは
→古語;かれのながのととは(彼の長の魚は)
いついつでやる
→古語;いついつでやる(いついつ出やる)
ななつのばんに
→古語;まなつのばんに(真夏の晩に)
つるとかめとつべった
→古語;つるりとかめがつめいった(つるりと亀が詰め入った)
うしろのしょうめんだあれ
→古語;うしろにちょめちょめだあめ(後ろにチョメチョメ、ダーメ!)
実に優雅な夜の歌である。
場所を間違えるなという、細かい心遣いが感じられる、温かい歌であろう。
★ホタル
ほっ、ほっ、ほたるこい
→古語;ほっ、ほっ、ほったらこい(ほっ、ほっ、掘ったら来い)
あっちのみずはにがいぞ
→古語;あっちのみぞはちかいぞ (あっちの溝は血貝ぞ)
こっちのみぞはあまいぞ(こっちの溝は甘いぞ)
ほっ、ほっ、ほったらこい
→古語;ほっ、ほっ、ほったらこい(ほっ、ほっ、掘ったら来い)
この歌もまた、初心者に禁忌事項を明示した、素晴らしい教育歌である。
★ほたるの光
ほたるのひかりまどのゆき
→古語;ぼたるのひ かりまろのいき (ボ足るの日 雁麿の息)
※(補注)ボは、博多ではボを重ねて読む。
ふみよむつきひかさねつつ
→ふみみよむつきひかさねつつ(踏みみよ六月日重ねつつ)
※(補注;踏んでも大丈夫なほど、長い年月をかけて鍛練したという意味)
いつしかとしもすぎのとを
→いざしかと しもすじのとを(いざしかと下筋の門を)
あけてぞけさはわかれゆく
→あけてぞけさばわかれゆく(開けてぞ毛さば分かれ行く)
その日のために若者よ、鍛練を怠るな!という戒めだろう。
かように、現代の童謡などにおいても、古代から続く五穀豊穣、子孫繁栄の心は引き継がれ、美しい大和言葉となって脈々と生きているのである。
古代文学研究所童謡比較編集室編纂
主筆
注五位遊損・しまのじい太郎うそやね