【補足説明】出雲族 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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NHKニュースなどでは、出雲族はその昔を辿ると天照大御神の子に行き着くとかいう話をしていたが、神話上は、天照大御神の弟こそ出雲のご先祖様である須佐之男である。
わざわざ天照大御神の子どもの話を出したのは、千家と邇邇芸を繋げたかったのか、あるいは千家に伝わる話からの引用からかはわからない。


が、少し不敬かも知れない話をすれば、須佐之男が天照大御神の弟というのは、造られた話であろう。

須佐之男、あるいはその子孫とされる出雲大社の主神でる大国主にしても、おそらくは現天皇家とは全くちがった流れを組むものに違いない。

いろんな状況を考えるとそうなる。

いや、もっとはっきり言ったなら、敵対関係であった。

だからこそ、ある程度古代日本史を知っている方ならば、今回の婚約に驚き、また喜んだはずである。


平安末期、かつて四国に流された院(平安末期には天皇という名称は使われなくなっていたはず)の怨念は1000年近く大王家を悩まし、明治維新の際には、後の明治天皇は四国にお伺いを立てて天皇に即位している。

この院は、日本の大魔王として魔界のトップに立っている。


が、大国主は、それとはまたレベルが違う。


平安時代あたりには、こんな言葉があった。

雲太、和二、京三


これは、一番が雲太(出雲大社)、二番目が奈良の東大寺、三番目が京都御所と言った意味で、建物の大きさ(または高さ)を表しているものらしい。

この言葉の裏には、出雲族が現天皇家に政権割譲する話が絡んでいるだろう。

出雲族とはいわゆる縄文人であり、天族とはいわゆる弥生人であり大陸や半島から渡ってきて稲作などを伝えた。
というのが、比較的最近までの主流となる説だった。

が、DNA研究が、これらの説を一蹴してしまうだろう。

歴史学会ではしばらく認めないだろうが、弥生人とは大陸や半島から渡って来た人々ではない。

それは、Y遺伝子を調べると明らかになる。

日本人は、少なくとも現在大陸や半島にいる民族とは明らかに異なる。

古墳時代以降に、都で土師となった人々や、厩戸家のスポンサーになった秦氏、関東など東国に移民した人々などの一部を除き、弥生人とは実は日本人が進化した族であった。

ただ、この生化学的調査が歴史学会でも受け入れられ、義務教育で教えられるようになるのは、あと100年以上後かも知れない。

しかし、弥生人が稲作を伝えたなどという間違いは、今すぐにも訂正すべきだろう。
生化学的検証ではなく、考古学的資料からも明らかなのだから。



話が脇道にそれてしまった。

出雲族と信州や三河、常陸、下野あたりとは深い繋がりがある。

海部元首相も、出雲とは切っても切れない間柄だし、当然ながら竹下元首相もなんらかの繋がりがあったろう。

森元首相あたりは、非常に興味深いところにいらっしゃる。



まあ、そんなこんなで、今回のご婚約は神話を半分無視(出雲の系譜は天族とは無関係)しても、非常に興味深い婚約であり、まためでたいことであった。


新嘗祭の主たる今上陛下しかできない、たいへんな許容力が生んだ賜物だろう。

陛下が新笠についてお言葉にされた時は、ほとんど歴史知識のなかった私でさえひっくり返るほど驚いた。

また、伊勢に参拝なさると聞いて、これまた驚いた。

今回は、出雲との婚約を許された。


信じられぬことを、次々になされていらっしゃる。



すごいお方にあらせられる。


改めて、そう思った。




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