1937年12月中旬から1938年初にあったとされる、いわゆる南京大虐殺に関して、疑問ある日記や電信を紹介しています。
なお、現代口語訳にて、疑問部分のみ抽出です。
アメリカの電信類は概要です。
★杉内俊雄 陣中日記
12月22日
住民歓迎の中、午後4時30分。
本隊が金淑に入城。
★アメリカ人アリソンから、アメリカ国務長官への電信
1938年1月8日
昨日遅く大使の車が良好な状態で返還された。
福井総領事代理が、その車借り賃の一部として、ガソリン160ガロンを置いていった。
安全区(筆者注;事前に南京政府と取り決めた中立地区)内では、アメリカ人の財産は気まぐれな略奪、こそ泥はあったが、被害は概して少なかった。
我々が南京到着以前に聞いていた話とは全く違い、日本軍人の行動、日本人文武官のすべての行動は、我々の職務遂行に対して、極めて丁重、かつ協力的である。
★この記事は2013年11月記事の再掲です。
アパホテル問題で再燃した、南京虐殺事件。
南京政府が支那民間人に暴力をふるったり、食糧強奪したというなら分かります。
また、数年後に、共産軍が南京城で戦って、城内にいた人々を大量殺害したというなら分かります。