1937年12月中旬から、1938年の初頭にかけてあったとされる、いわゆる“南京大虐殺”に関する日記で、“あれれ?これが30万市民大虐殺があった都の日記?”という部分を抜き出しています。
現代口語訳(しま爺)
★宮本省吾 陣中日記
12月26日
予期せぬ温かい夕飯と汁のご馳走をいただいた。
12月27日
徴発を無理に行わないような命令が出て、はじめて支那(中国)の貨幣で買う。
12月30日
支那の民衆も安堵してか、商人も多く街は混雑している。
1938年1月22日
久しぶりに元の宿舎に戻った。
やはり、支那人でさえ懐かしく感じてしまう。
★この記事は2013年11月記事の再掲です。
なお、日本語を理解できない方がいるようなので追記します。
私は南京で全く事件がなかったとは考えていません。
数千から2万くらいの便衣兵は殺害したかもしれません。また、一部の外れた兵士による軍規無視の野蛮な行為は多少あったでしょう。
が、中華人民共和国が言っているような、膨大な、組織的な犯罪はなかったろうと考えています。
大虐殺肯定派の方々が編纂した手記にさえ、上記のような牧歌的記載が見られます。
これを否定することは、朝日新聞などの記載も疑うことです。