なお、書籍などになっている『証拠写真』は、大虐殺としての証拠信頼度は0%近いでしょう。
★繰り返しますが、これらは本多勝一氏などが、『南京大虐殺』のあった証拠として提示されている文書の一部抜粋・口語概要です。
★アリソン→米国国務長官電信
1938年2月18日
この数日間で、南京状況が顕著に改善された。
ほとんどの中国人が、安全区から市内の自宅へ帰りつつある。
日本軍兵士の不法行為はまだ時々聞くが、実質的に少なくなってきており、日本が南京市民の生活改善に努力していることは明らかだ。
★エドウィン・マルクス→アレキサンダー
国際委員会が安全区の設定を計画し、民間人が難民として安全区へ集住してくることに、可能な限り動いた。
この結果、南京の支配者が交代するという事態があったにも拘わらず、非戦闘員の被害と損失が最小限ですんだと感じている。
