この方が、著作で入った金で初めて海外に出た。
そこで彼は愕然とした。
自分が教えられ信じていたものと、いざ自分の目で見たものがあまりに違っていたからだ。
そして彼は思った。
このままの教育では、とても母国は先進国になれないと。
今彼は、母国を目覚めさせるために、彼が知ったことを著作にしている。
母国の先輩からは、命を大切にしたいなら真実は書くなとも言われたようだ。
彼自身、相当な脅迫を受けてもいるようである。
そんな彼は、母国では、日本人が来るまでは平和で幸せな生活をしていたが、日本人がそれを破壊したとずっと信じていたらしい。
しかし、現実には清の属国から脱する前は、目を覆いたくなるようなひどい生活、恐ろしいほどの差別、常に貧困にあえいでいたことを知る。
識字率が10倍以上増えた。
かつては、95%くらいが文盲だったのだ。
ハングルを広めたのも日本だった。
宮殿以外はほぼ100%草ぶき屋根の平屋しかなかったが、一気に近代化した。
その他、習ったこととのあまりの違いに、しばらくは呆然としたことだろう。

併合前のソウル中心部。
宮殿より高い建物はタブーのため、民家は平屋の草ぶき屋根。
上水・下水の差はないようす。
当時のソウルの様子は、西洋人の書いた旅行記に詳しい。

ソウルのマーケット
韓国の英雄、義兵将・柳麟錫の家でさえ、草ぶきであった。

このように、平屋草ぶきの低い建物が基本中の基本だったが、唯一例外がある。
それはこれだ。

宗主国の使者、つまり主人の使者が通る門(迎恩門→主人の恩を歓迎する門)である。
かつては明が親分だったが、明の部が悪くなると清に乗り換えた。
清の駐在も、ここを通ってソウル入りした。
ただ、どうも韓国の歴史書では、自国が属国であったことは認めていないやに見える。
ファンタジー時代劇では、宗主国の使者は、ただの他国の駐在員か顧問程度の扱いだ。
この属国時代の悲惨な生活は、もちろんドラマではなくなっており、せいぜい国内派閥争い程度しかない、花舞う李朝時代となっている。
なぜハングルが使われなかったか、なぜ時代を表した元号が明朝や清朝と同じだったのか、なぜ毎年正月はたいへんな思いをしていたのか。
おそらくこのあたりは、韓国の歴史からは消えているのだろう。
しかし、歴史を省みる、あるいは掘り起こすとは、そういうことではあるまいか。
なお、興味深い写真を載せる。
これは日本人による虐殺証拠写真と言われるものを、一部切り出したものだ。

次の点に注目して欲しい。
①兵士と犠牲者の影の角度
②兵士の輪郭(全体的に細い白い線がある)
③遠近感
なお、韓国発行の日本人向けの辞書などには、昨日記事にした庶民の衣装に関し、興味深い表現がありました。
衣装は身分により決まっており、庶民は白装束が一般的でしたが、祝い事などの際は、色のついた衣装をつけたとも言われています。
注目すべきは、【言われています】なる表現。
うん。
無難な表現ですよね。

併合後、整備された地方都市。
ただし、これが良かったのか悪かったのかは、韓国人が考え思うことであり、乳出し衣装や白装束文化同様に、我々の感覚で善悪は決めてはなるまい。
ただ、衛生面や食糧事情、交通、住居、教育、姓・性・本願差別は、確実に良くなっている。
それでも、いまだに姓・本願差別があるなあ。
特に大統領クラスになれる姓や本願は決まっているし。
このあたりは、まだ身分制度から抜けきれていないようだ。