【アメブロ・ネタ】君が代―時代と教育 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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大阪府教委の「君が代口元監視」どう思う?ブログネタ:大阪府教委の「君が代口元監視」どう思う? 参加中



君が代に関しては、つい最近も記事にしたが、これほど意味の変性をした歌も珍しい。

万葉のはるか昔は、き(岐=男)み(美=女)の繁栄、つまり人類繁栄を歌ったとも解釈が可能だ。

これが変化して、君=恋人などとなり、愛の歌にも変わる。
さらに、君=帝ととらえ大王の繁栄を祝う歌と解釈される。
はるか時代が下って明治になると、天皇讃歌ともなった。

そして戦後。
ご存知のように、一部の人たち、特に日教組などの一部は軍国主義の象徴であるとしているようで、国歌であるのに歌わないことにプライドを持ってさえいるようである。

こうした方々は、外国のかなりの国歌にあるような、戦え戦えとか、なんとかを殲滅だのような歌が好ましい国歌だと思っているのだろうか。
それにしては、戦争反対とか差別反対などと叫んでいるようにも感じる。

条例だの規則だのというのも問題だが、そうしないと卒業式で歌わない先生というのは、私には哀れである。

おそらく日本語や歴史を学んで来なかったか、偏りある教育が正しいと詰め込まれた犠牲者に思えるからだ。

卒業式などに起立もせず、国歌にそっぽをむけている先生が、いかに生徒たちの儀式をダメにしているのかさえ気付かないほど、一方的教育を植え付けられてしまっているからだ。

お隣の国で旭日旗アレルギーを培養させられた方々に、大差なく感じる。
旭日旗にいちゃもんをつけ始めたのは、実はつい最近なのだ。




しかし、皮肉なものだ。
この法律ができると、一番仲良しの新聞は読んではいけないことになる。
いや、支局も撤収しなければ理論上は変だ。
このあたり、どんなアクロバット例外法律を作るのか、一方で楽しみでもある。
ただ、リムパックは困りましたね。
さらに、3年後はどうするつもりなのだろう。
アメリカさんも、もうお付き合いに疲れたようだ。
自分から出て行けと言っておいて、今さら何を止めてくれと寝言を言ってるの?しかも、何回目!というところだろう。
フィリピンの例で分かるように、アメリカさんは日本みたいに、生優しくかつ我慢強くお付き合いしません。
ダメなら我慢せずに引き上げます。




君が代の話から、ずいぶん離れてしまった。

脇道ついでに、君が代の例とは違うが、同じことなのに変わっていく教育を考えてみた。

水の話にしようかな。

ヘレン・ケラーのような特殊な場合を除けば、水というものは、いつ覚えたか分からないくらい幼い時から知っているはずだ。

やがてそれは、水素と酸素というものがくっついたものだと教えられる。
さらに中学生くらいになると、水素イオンと水酸化物イオンなのだなどと変わる。
だいたいこのあたりで、化学が嫌になってくる。

さらに、水を構成している水素に関して考えてみよう。
初めのうちは、水素はそれ以上細かくできない元素であると習う。
が、中学生くらいになると水素は1個の原子核と1個の電子を持つものだと教えられる。
さらに、この原子核と電子こそ、もう分けられない最小単位だとか、原子核の周りを電子が回っているなどと教えられる。

ところが、あと少し学ぶと、原子核もさらに細かく分割できることや、原子の中心にあるものは原子核だけでないことも、電子が原子核の周りを回っているわけでもないことを知る。
さらに量子学レベルの考え方をすれば、これら粒子のようなものは、無限大に存在することになるだろう。
例えば、1つのボールが同時に2つの穴を通り抜けるようなことがあるからだ。

かなり将来の話になるだろうが、量子コンピュータはこの性質を利用して、理論上は無限大の計算能力をもつものになるだろう。

我々生活レベルでは、人類にはタイムマシンを作ることは不可能だが、電子レベルの動きになれば、また話が違ってくるのではあるまいか。

後半の例のように、その年齢や使う場所では正しいが、別の年齢や環境では間違いとなることは多々ある。

なお、地球温暖化は人間の活動による影響だというようなストーリーを、国際的流行とする場合もある。

流行色は、当該年2年前にお偉いさんが集まり、パリで決定されることが色彩検定にも出るほど有名だが、こうした地球環境の流行ストーリーは、いつ誰によって決められるのかは知らない。