
私はない派
アメブロさんが日本、いや世界を含む古代史についてのネタを出すとは珍しい。
ここでアメブロの言う“あまたつ”とは、古事記に出てくる、天之常立神(あまのとこたちのかみ)に相違あるまい。
天之常立神は、別天津神(ことあまつかみ)五柱の最後に挙げられた神だ。
見方を変えると、これら別天津神五柱は、日本の歴史とは直接関係のない神である可能性も否定できない。 現に、日本書紀において天之常立神は、その他参考に挙げた、多くの“一書に曰く”のひとつに出てくるだけである。
古事記において別天津神五柱の次に出てくる、国之常立神(くにのとこたちのかみ)と同じと思われる神が、日本書紀における最初の神となっている。
具体的に日本書紀に出てくる神を、参考の一書を含め列挙してみよう。
★日本書紀で初めに出る神
本文→国常立尊
一書→国常立尊または国底立尊
一書→①可美葦牙彦舅尊(うまあしかびひこじのみこと)②国常立尊
一書→①可美葦牙彦舅尊②国底立尊
一書→国常立尊
一書→国常立尊
一書→天常立尊
つまり、天常立神(アメブロのネタである“あまたつ”のことだろう)は、秋津島(本州、四国、九州など)系統からはズレた存在の可能性があるだろう。
これのヒントとなるのが、沖縄のアマンチュウである。
アマンチュウに関しては、いわゆる天邪鬼(アマノジャク)と混同されたりしているが、これは大きな間違いであろう。
アマンチュウとは、天之中または、天之柱だ。
つまりは、原始の神なのである。
しかしながら、新しい勢力に支配を受けて、かつての神は悪魔的存在に近い天邪鬼へと追いやられたのであろう。
こうした先住民蔑視は、いつの世でも、またいずれの地でもあったことであり、それが伝説の形で残っている。
そればエジプトのシューであり、ギリシャのゼウスの父クロノスであり、ローマのサートゥルヌス(サターン)である。
また、現在中華人民共和国のある地域の一部では、日本では一般名詞となった“商人”である。
日本でも、神であったはずのをに(鬼)が、今では悪い意味で使われている。
脱線するが、“をに”は“わに”とほぼ同音であり、古代日本において“をに”は、王仁(わに→半島系民族)、鰐(わに=南洋系民族)だったかも知れない。

セサミストリートのセサミ(ゴマ)かなあ。
★今回のネタは難しかった。
調査1時間、記述30~40分もかかってしまった。
成田から出たなら、上海に着いてしまう。
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