
ヒッチ・コック監督の映画に『サイコ』というものがある。二重性格者の犯罪を扱った歴史に残る大作である。
これが公開された時には、映画館への入り口と出口を分けたと言われている。映画を観終わった観客が、これから観ようとする客に真相を教えてしまい、せっかくの恐怖と驚嘆を薄めさせてしまうことがないようにするためだ。
私はこの映画はテレビでは何度か観た気がするが、映画館では観た記憶がない。
人は、先入観の強い動物に違いない。
例えば、下のような画像を見ると、多くの方々は別のものも連想してしまう。
さらに、こうした連想はちょっとしたトリックで確定的になる。例えばそれはこんな風に。
ちょっとHな画像かも?

これは実は、本人には気づかれない誘導のようなものだ。
これと似たことが、世の中には多い。
人間は、想像力の豊かな生き物だ。その想像力が科学というものを発展させてきたのだろう。
脳は、新しいものを観たときに、過去映像の中から似たものを探し出してきて、それと新しいものを比較して記憶させていく。
だから、植物の実の画が男性のなにに見えても、けして不思議ではない。いや、むしろ正常だろう。
しかしながら、こうした働きを利用して商売に結びつけることもできる。
あなたがこれを男性と見たならば、それはあなたが欲求不満だからです。その理由はあなたと旦那さんとの関係が… …。
といった類だ。
どこの家庭でも、いや家庭に限らず、誰しも大なり小なり欲求不満があれば、問題もかかえている。そうした弱みにつけこむ商売の類は、ある意味あって当たり前だろう。だいたいにして、広告というのがその仲間であるし、拡大解釈をすればマスコミ報道もその範疇だ。
だから、これらはすでに人間の生活とは切っても切れなくなってきている。
ただ、気になることがある。
それは、インターネットの発達で、誰しも世界の広告塔となれることだ。
さらに危険なのは、当人の知らないところで、当人の名前が一人歩きしてしまうことだ。
私も個人的な被害にあったことがあるが、かつては他人になりすます人間には、かなりの危険があったはずだ。
が、インターネット世界では、非常に簡単に源五郎が水すましになることができるだろう。

素直にねじれたネジバナ(ネジレンボ)。

素直ではないネジレンボ。
ねじれていない。

ねじれ過ぎたネジレンボ。
あまりにねじれていて、ねじれがわからず、八方美人に見えてしまう。
なお、先の話に出た私の名前を使ってくだらぬことをした輩に会ったならば、あごの骨の構造を変化させる程度で、極めて穏便に許してやろうかなとは考えている。
いや、優しすぎるかな?
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