
ごく最近お邪魔するようになった、噺好きのブロガーさんの記事を読んでいて、ふとアラビアン・ナイトが頭をよぎった。
そのブロガーさんが、アラビアン・ナイトの語り手のように思われたからだ。
そして、もうひとつの新しい『新アラビアン・ナイト』のことを思い出した。
この作者は、合衆国によって育てられ、合衆国によって葬られた大統領だ。
ええい、面倒だ。はっきり書こう。
サダム・フセインである。
この小説が実に面白い。元祖『アラビアン・ナイト』以上のできなのだ。
ただし、私はアラビア語はアルファベットの類いさえほとんど読めないので、日本語訳を読んだから、翻訳者が素晴らしいとも言えるが。
もうずいぶん昔のことなので、個々の内容までは覚えていない。しかし、第1巻を即日読み終わり、あまりに面白いので第2巻を探したことは覚えている。
残念ながら、第2巻以降を見つけることはできなかったが。
私は中東情勢もほとんど分からないが、仮にあの小説を書いたのがサダム・フセインであり、ゴーストライターではなかったとしたならば、合衆国は我が子を消しただけではなく、優れた才能をも葬り去ってしまったのだなあと思った。
まあ、似たことはサダム・フセインに限らないが。
エジプトもリビアも、またニカラグア、コロンビアあたりも、似たり寄ったりなのかもしれない。
このレベルになると、私にはもはや光年単位の話となってしまう。
ついでに、もうひとつ思い出した。
イスラエルで、少し昔、『イスラエル人』ではない“イスラエル人”が、初めて“イスラエル人”としてイスラエルの閣僚になったが、哀れな最後を遂げた。
このあたりも、ふと頭をよぎった。