形と中身 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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日本の食堂では当たり前になった、ショウウィンドウのプラスチックサンプル。
あれは実によく出来ていると感心する。

私が新入社員になりたての頃。海外から出張に来た星州人の方が、ラーメン屋に入る前にジーッとそれを眺めていたのを思い出す。

今はどうか知らないが、当時の星州人にとっては、プラスチックサンプルが非常に珍しいものに映ったようだった。


また、ビールの泡がどうして消えないのかが不思議でもあったようだ。


これらはプラスチック、つまり形だけ模したものだから、当然食べられない。
が、メニューを知らない者には実に便利だ。

全く言葉の分からない国に行き、文字なのかどうかさえ分からないメニューを出されて食べものを選ぶことを考えれば、実に親切である。


繰り返すが、これはあくまでも外見を似せたものであり、食べることはできない。






北極圏などに住む人たちは、現在の食文化が入る前には肉は生で食べていた。
これは当然だろう。
もし魚や肉を煮たり焼いたりしてしまったなら、ビタミン不足で生きていけない。
とにかく、氷雪、あるいはツンドラの広がる地だから、口に入る生野菜やら果物やらは皆無に近い。
これらから得なければならないビタミン類が決定的に不足する。

そのために、肉、魚を生で食べる。
生命を考えれば、ごく当たり前のことだ。

最近は現地にも近代流通の波が押し寄せ、ビーフステーキに野菜サラダといった、西欧食が普及しているようではあるが。

このような環境で行われる猟も、かつてのような家族や部族を守るためではなくスポーツ化、レジャー化してしまったようだ。一部には少数民族助成金と油田などの補償金などで毎日が酒浸りになって形ばかりの猟をする者もいるという話を聞いたことがある。
さもありなんとは思った。

形ばかり残って、中身がなくなってしまう。






話は変わるが、1ヶ月風呂に入らないという修行もあるらしい。

若い女性にはかわいそうだなあと感じた。

デカン高原など乾燥地帯ではもともと水が少ない。
だから、水は生命を維持するのに最小限にとどめる。
また、乾燥気候なので、長らく身体を洗わなくとも人間に害をなす菌の繁殖は少ない。



が、日本は世界有数の多雨地帯。乾燥とは言ってもたかが知れている。
湿潤だから、いろんな菌がそこら中にいる。
一息すれば、その中にはおそらく千とか万、あるいは億単位の菌がいる。

このような温帯湿潤気候の日本において、長らく風呂に入らない修行とは何なのかなあ、と思った。


デカン高原やらカシミールでは風呂に入らないことには、それなりの意味があったろう。

しかし、ガンジス川流域では水に入る、つまり沐浴は神聖な行事に違いない。
デカン高原で水を使わないのは命を守るためだ。
同様に、ガンジス近くで沐浴するのも健康のため、命のためだ。


日本人が風呂好きであることにも意味がある。