忘れえぬ花火たち | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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花火見た?ブログネタ:花火見た? 参加中

私は見てない



花火というものは、ひゅるひゅるっと上がって、パッと輝いたと時には、もう一生を終えているのだ。


そんな花火の中から、忘れえぬものを拾ってみよう。 (この記事は、よくお邪魔する、ある国ではあっちの世界でのセミプロブロガーさんの記事から思いついた)




まずは二名島の鈍牛だ。 私の母方の祖父が珍しく“あいつは偉い”と褒めていた牛である。祖父はあるいは若牛の頃、実際に会っているかも知れない。
一方、一見同じ屋形に住まいの妖怪は嫌いだった。まあ、妖怪が好きな日本人はあまりいないかも知れないが。
さらに、あそこは家が広いから、赤鯨みたいな人から、浜ちゃんみたいとっちぁんまで、とにかく虹色社会だった。

鈍牛は、漫才のネタになるほどモーモーしか言わない人だった。いや、庶民にはそう見えた。が、最後に目一杯光った。皆驚いた。
が、彼は、歴代の中で最も理論的な討論、会見をした人物としても知られている。


私があと少し年を食っていたら、多分妖怪の弟の無人会見が一番記憶に残ったかも知れない。
この妖怪の弟は、花火のようにすぐには散らなかった。それだけ彼か、彼の兄である妖怪の力があったのだろう。





春日山やら佐々にしきやら、かつては背中の連中にもなかなか面白い人もいた。

話が飛んだ。
花火に戻ろう。


これは何度か記事にしているが、牛と同じくらい驚いたのは、親熊の花開く前に雨にたたられ、花火がしけってしまったことだ。

この世の中にこんなこともあるのか!
と、当時赤道上の国で愕然とした。
当時は、太閤に水を引っかけた酒屋の姪っ子さんの息子の家庭教師みたいこともしていたので、一層あちらの世界に震えがきた。


新聞で見た、酒屋の万歳の顔は怖かった。



つい最近。
子ぐまが後を追ったことになっている。

子ぐまは、ナポリタンを食べ過ぎる数ヶ月前に、私でさえヤバイ!と感じた会見をしている。

子ぐまの苦労は、私などには想像できない世界だ。
華々しい散り方ではなかったが、あの会見は記憶に残っている。





そして最後に象さんの耳会見。



これは凄かった。

私の知っている限り、一番重かった。


象さんもまた、そのすぐ後鬼籍に入る。



霊界だの天罰だのより深い世界が、そこにはある(だろう)。






蛇足になるが、今も唯一こっちの世界にいらっしゃる青いリンゴの親分もまた、一度だけ油汗を流している姿をブラウン管の中で見た。 おそらくあの時のことは、リンゴが腐ろうと覚えているに違いない。




こうした花火が尺玉なら、今あるものは線香花火。

いや、それにさえ劣る。