
南無阿弥陀仏
これは、ナミアミダブツと読むのが一般的だろう。
この漢字をナミアミダブツと日本語で読むのは、その言葉が伝わった時代の発音、おそらくナモアミトーフィーがなまったものだ。
このナモアミトーフィーにしろ、もともとはサンスクリット語の、
ナモ・アミタ・フォ
という発音を、漢字訳したものらしい。
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この音訳は宗派により異なるようだが、大多数のところはナミアミダブツであり、サンスクリット語の意味は仏を信じそれへの帰依を意味する。
一部キリスト教の方々が日本語で使う神の思し召しとか、ガッドゥ・ブレス・ユー、あるいはアーメンにも近い意味だろう。イスラム教なら、アッサラーム・アライクムにも近いだろうか。
つまり、神仏への帰依、あるいは加護を求め、平安を願う言葉に違いない。
このあたりまでは、Wikipediaのような半分眉唾の辞書にも、似た内容が載っている。
でもそれでは面白みがないから、今は亡きサンスクリット語のインドから、いまなおサバイ・サバイ・マイペンライのインドシナに移って考えてみた。
ナーム・ワーム・タァ・ホイと訳すのである。
ナームは水、あるいは川。つまり、母性あるいは永遠の象徴。
ワームは甘いもの。つまり、この世の甘美、快楽、栄華。
タァは目、見ること。つまり、一瞬であること、はかないこと、あるいは現世。
ホイは貝。これは女性器、あるいは産まれることの象徴。
だから、ナーム・ワーム・タァ・ホイはこんな意味になる。
すべてのものは女から産まれ、どんなに栄華を極めようがそれは一瞬であり、やがて母なる川に戻り流され(インドでは、死体がガンジス流されることの意味は深い)一生を終えていく。
人生とはそういうものだ。
あの平家物語の冒頭、祇園精舎の金のこえ、と同じ意味なのである。
あるいは、いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ(色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ)に等しい。
と、大嘘語源を考えてみました。
ただし、サンスクリット語やインドシナの言葉に関しては、全くのデタラメではなく、ほぼ納得してもらえる意味です。
ここを読んでくださっているブロガーさんにも、インドシナに住んでらっしゃる方がいます。まあ、分からなくはないこじつけでしょ。
でも、これを声に出すと、若い子に横面ピンされそうですが。

さあ、顔を洗って眉あたりをきれいにしてください。