先の記事では、消えゆく日本人に焦点をあてました。
さあ、今回は私の専門である、消えゆく日本の風俗と文化について考えてみます。
えっ?いつから風俗、文化の専門家になったかって。
野暮なこといいなさんな。
つい今しがた、専門家気取りになったのですから。
日本は昔から“草木もの言ふ国”と言われ、すべての生命、いや鍋釜や岩、山、空、風、雷、太陽、月……。 あらゆるものに神が宿り、それらに育まれた小さな存在として人間がありました。
一方で、少なくとも貴族社会などでは口にすること、いや夢に見ることさえ憚られる禁忌があり、人はむしろ直接的な言葉を嫌う傾向にありました。
なぜなら、言葉にしたとたん、夢に見たとたん、それらは現実になると恐れていたからです。
逆に考えれば、良い方向に考えたり、良い言葉を使えば良いことが起きるとなります。
この考え方は、ちょっと昔の社会党に似ています。
平和、平和と言っていれば戦争は起きません。
間違っても、どこかの国が自国を侵すようなことはない。それが昔あった社会党の中心的な(本音はさておき)ものの見方です。 今の政府は、そうした元社会党の隠れ蓑でもあるでしょう。彼らの目的は日本と日本人を潰せでしょうね。
あら、話が飛びました。
消えゆく風俗、文化の話に戻ります。
先に述べたように、かつては言葉にすることは、場合によっては、いや多くの場合、恥と背中合わせでした。
だから目で話す、以心伝心の世界が尊ばれました。
が、戦後になって状況は大きく変わります。
日本人が、欧米に追い付け追い越せと考えた品質維持、QCの考え方がアメリカ合衆国など西洋に取り入れられ、さらに逆輸入されるに至り、日本も口に出すことをよしとする社会に移っていきます。
ただし、この発言は無礼講という名前の見えない厳しい決まりある飲み会に代表されるように、まだ形だけではありますがね。
それはさておき、とにかく手足を動かすよりも口を動かす人のが重要とされ、その対価もうなぎ登りとなります。
例えば、一部コンサルタントなどは、2、3時間で新入社員の月給よりもはるかに懐が温かくなります。
昔、田舎母校にある方を呼んだときには、2時間で当時の新入社員の年収くらいは払ったようですから、かなり昔から口上手は算術も得意だったかも知れませんがね。 でも、その講演を聴いたおかげでニュースを事実と考えない基礎ができた気がします。
その方はずいぶん“天罰”の対象ともされた方でした。もう、日本にはあんな方はいないかも知れません。
あらら、また話が脇道にそれた。
また道草を食わないうちに本題に入りますか。
日本の文化の危機。
それは最初に述べたような無形のものから、これから述べる有形のものまで多岐に渡ります。
まず、今の政府が無くしたくて仕方のない、正月、お盆の里帰り。
節分には大豆ではなく落花生を撒くこと。
節分に大豆はそれなりの意味があったはず。
平成大合併に伴う、由緒ある地名の抹消。
これは、主に経済的な意味も大きいが。
日本人の知能破壊。
特に計算力、地理力。
はっ。
まずい。風俗から離れた。
もう、面倒だ。まとめてしまおう。
日本に古くからある風俗、風習を封じ、ネオンの下のオネエの風俗を流行らせる。
これもプログラムのうちなんですよ。
なーんか、締まりのない〆になってしまいました。
かなり、反省。
次回は、あと少しまともなことを書こう。