[田舎小説]おおいなる田舎 オムニバス東京 その1 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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彼は無性に苛ついていた。
学友たちの中には、税金泥棒だぜ、などと陰口をたたいている者がいることも知っていた。

春の眠気が、一層彼を抜け道のない迷路に追いやっていた。

彼は無意識に小石を掴み、のほほんと泳いでいる紅白の鯉に投げつけていた。

何をしてるんだ!

後ろから、初めて聞く怒りの声がした。

彼は敢えて聞こえない振りをして、また思い切り石を水面に投げつけた。


何をしている!

二度目の詰問に、ようやく彼は振り返ったが、目は斜め前を見ていた。


と、

自分の身体が宙を舞ったのを感じた。


春とはいえ、直後に身が凍る冷たさが彼を覆った。

彼は生まれて初めて、神ではなく父としての“厳しい優しさ”を知った。



冷たさに、先ほどまでのモヤモヤは消えていた。







思わず妻を殴り倒すところだった。

それほどに祐司の学業は悲惨であった。
タバコを隠れて吸ったり、飲み屋をほっつき歩いているのは知っいた。
が、それは幅を広げるためにはと、多少目をつぶっていたのだ。

が、なんだ、これは!



高校生とは名ばかりで、幼稚園児レベルの知識しかないではないか。

仁太郎はよく遊んだが、学業もトップだった。

学生のくせに小説なぞという低俗なものを書いているようだが、やがてあいつも目覚めて経理やの道を歩むだろう。


しかし、祐司は、祐司……。


このままでは、それこそ棒にも箸にもひっかからない人間になってしまう。



どうしたものか。



確か黒部で強力(ごうりき)を募っていた。
身体は丈夫そうだから、新しいダム造りにでも行かせるか。



でっちから副社長にまで駆け上がった苦労人の老人は、知り合いのいる電力会社を思い浮かべた。







新しく日本の統治者となったGHQ。
その新しい神が恐れたものが2つある。

1つは神田明神の名で知られる将門伝説であり、これは戦後のこぼれ話としてもよく知られている。
が、もう1つ、いや、もう1人については歴史に載ることはない。

まあ、歴史というものは、その時代、その民族に都合よく作った小説だから、これはやむを得ない。

それが証拠に、日本ではアメリカの歴史は1492年からしか教えていないし、お隣の国の3、40年前の姿をマスコミが伝えることはまずない。。
オルメカだのキチューだのは、SFに彩りを与えるものでしかないし、無いかも知れない煙には騒ぎ、現実の千万、億の灯火が消えたことはほうかむりしているではないか。


あらっ。
話が飛んでしまった。

捨六郎は、なぜにそれほど恐れられたのか。


それは、GHQ組織としては神でも、それが弱い個人個人の集まりだと知っていたからだ。

また捨六郎は、名前通り捨て身の人間で、時の宰相さえ最敬礼するGHQ相手にずけずけと言いたいことを言った。
これは捨六郎の生まれにも関係する。

捨六郎の生家は田舎では裕福な方だったが、妾の子を入れれば10人になる捨六郎の父が、もうこいつは捨てちまおうと思って名付けたのだと子どものころから噂に聞いていたからだ。

捨六郎の名前が、鬼丸やら女のお虎同様、強い子を期待して付けたなどは分からなかったのだろう。


捨六郎は日本が日本でなくなることを憂い、時にGHQをおどかし、時に重いお茶菓子を贈り、日本のこころを繋いだ。

その形となったものが、今も日本一高いところ建っている能楽堂である。