正一郎は、来る客来る客に盃を渡し、自分も盃を空ける。
それが正一郎の仕事だからだ。
家事と名のつくものはしたことがない。
いや、唯一、その日を除いて。
除夜の鐘が108回目の音を響かせる頃、正一郎は褌一本になり3升6合5斥の米が入った櫃を抱えて裏山を登って行く。
空気も凍る夜だが、龍の口と呼ばれている湧水の出るあたりだけは、大寒でも凍らない。
むしろ湯気さえ出ているのだった。
正一郎はなにやら呪文のような言葉を唱え、一顧三礼した。
身を清め、櫃に入っている米を磨ぐ。
半時の後、白装束に身を包み三峰のお山を登る正一郎の姿があった。
背中には大きな籠を背負っている。その中には、先ほど磨いだ米が入った風呂敷が入れれていた。
目を凝らせば、籠の底に兎の皮が敷いてあるのが分かるかも知れない。
初日の出。
三峰からは、房総から昇ってくる日が見える。ふりかえれば、白髪の浅間山が赤紫に染まっている。
竹取の翁がかぐや姫からもらった不死の薬を燃やしたという、日本一の山がそこにある。
正一郎は山頂にあるほこらに、3升6合5斥の米と2枚の兎の皮を奉った。
三峰山の神は狼である。
オオカミとはおほかみ、つまり大神のことだ。
家に戻った正一郎には、また酒を飲む仕事に精を出さねばならぬ苦行が待っている。
★西洋では狼男や赤頭巾ちゃんに代表されるように、狼は人の敵であり恐怖の対象であることも多い。
一方で、狼や山犬に神の姿を見いだすことは世界に共通している。
ローマの基礎を造りローマという名前の由来ともなったロムルスならびにレムスは狼に育てられたことになっている。
日本語のイヌの語源とも考えられるイヌプー、ァヌビスはエジプトの神だ。
現在中国と呼ばれている国を支配してからは、そこを中心に西はポーランドまで勢力を伸ばし、中東諸国の王たるカリフになるにも、その血を引いたものではなくてはならなかった、義経伝説もあるチンギスもまた、狼の子であると言い伝えられている。
ドイツには熱狂的な狼信仰もあり、えっ!と思うような経営者がその信徒であったりもする、
日本の狼は人に害を加えることは少なかったに違いない。
せいぜいシェパードの親分程度の小型のニホンオオカミは、むしろネズミなどを食べてくれる益獣だった。が、明治維新後の狼=悪者思想を受けて、一瞬で絶滅してしまう。
日本では悪をなす獣という発想は実に少ない。
害をなすものは、大方人の怨霊、怨念である。
だから、大政奉還前日、明治天皇は四国に使者を出し、崇徳上皇にお伺いをたててから帝政に戻すことを報告、依頼、嘆願しているのだ。
崇徳上皇が四国の土になって約1000年。
日本の怨霊はそれほどに生き長らえる。
同じく明治になって、大罪人の大伴家持らも、罪を許されたばかりか、その後の日本では必ずや国語にも出てくる歌人の仲間入りをしている。
大伴は崇徳よりさらに古い。
我が国最大の怨霊封じを賜っている出雲の神は、日本が存在するうちは最も強力な御霊だ。
あまりに大きすぎるから、私たちには感じられない。
さきたまには、秩父(乳部)など東を治める足掛かり的な土地がある。
例の金文字入り鉄剣は、その傍証ともなるだろう。
ヤマトとは、ヤマダであり、ヤマタであり、ヤハタ(八幡)であり、ヤッハッタ(YHT←YHW)であろうか。
★最後のは、ちいと危ない考えですが。