[田舎小説]ああ妻や、妻恋の群馬 その1 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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ドスンという鈍い音がした。
亀吉が外に出てみると、足首まで届くであろう長い髪を持った女が、戸口の前でうつ伏せに倒れている。


おい、おいっ。
しっかりしなせぇ。


亀吉はおそるおそる女の肩に触れ、軽くゆすった。

髪の間からフジバカマの匂いが漂ってくる。

女はピクリとも動かない。

亀吉は不器用に女を抱え掘っ建て小屋のムシロの上に運んだ。
そして、はだけたふくらはぎの白さに思わず唾を飲み込んだ自分を諫めた。

今年の夏は生まれてから初めての暑さだ。

この女房も暑さにやられたのだろう。
でも、なんでこんな寂れた村に?


渡良瀬の水も生ぬるい。

亀吉はボロボロの手拭いを生暖かい水に浸け、軽く絞って女の額に当てる。

また芳ばしいフジバカマの匂いがした。
懐には香袋でも入れているのだろう。うっすらとクチナシの香りも混じっている。もちろん、亀吉にそんなことは分かろうはずもなかったが。


亀吉は改めて女を見た。
それほど近くで女を見たことはない。


それは、茂林寺で見る観音様の姿よりべっぴんだと思った。



にわかに西の空がかき曇ったと思うまもなく、ピカッ、ゴロゴロッが始まった。
赤城からやってくる雷神様である。

空気が一気に冷え、茅拭屋根から雨の滴が落ちてくる。


滴が女の右目あたりにポタリと落ちた。


女は大きな息をしたかと思うと、ふらりと起き上がった。

と、その時、ピカッとまた光が走り暗がりの小屋のなかが一瞬青紫になる。

ヒエーッと声を上げた女は、近くにいた何かにしがみつき、また気を失った。




亀吉は、時折明るく照らされる小屋の中で、胸に飛び込んできたそれをどうしてよいものやら途方にくれるのだった。




眠れぬままに朝を迎えた。亀吉は、水汲みに出かける。
女の額に濡れ手拭いを当て、また外に出た。

朝飯前の草刈りが終わるころになって、急に睡魔に襲われた。


ふらつく足で小屋に戻ってきた亀吉は目を疑った。

そこには女の姿はなく、ひどくへんてこな作りの鍋のような物があったからだ。


こんなけったいなものは家に置いておけねえ。



亀吉は茂林寺の鶴守和尚にそれを預けてから、やっと深い眠りについたのだった。








日本一暑いところと言えば、私たち年代の多くは山形と答えるに違いない。
しかし最近は、暑い場所と言えば熊谷が有名になっていた。


が、今年の夏は、館林の名前をよく耳にするようになってきている。

昨日の最高気温を記録したのも、上州・館林だ。


館林には、今も分福茶釜伝説が残っている。



これは鶴の恩返しに代表される、世界共通の動物が人に化け恩返しをしたり、また逆に仕返しをしたりといったパターンの原始宗教の名残だろう。


が、この思想は現在の宗教にも生きており、例えば“お天道様は見ている”とか、因果応報とか、あるいは“マアト(エジプト語由来で誠、あるいは真)”、キリスト教などでも使う“誠意→聖意”などにも影響を与えているに違いない。


★群馬と言えば私たち年代なら、拓郎やこうせつの嬬恋コンサートを思い出す方も多いだろう。

なぜ嬬恋でコンサートと言う話になると生臭くなるが、嬬恋の名前の由来は古事記、日本書記まで遡れる気がする。



ヤマトタケルの、ああ妻や→吾妻(東)の国に関係するからだ。


ヤマトタケルの東国での旅程をトレースすると、石油や石炭を使っていなかった当時は、今より地球が温暖化しており、現在の標高30~60メートルあたりまで海岸線が迫っていたのがわかる。


待て待て、地球温暖化は二酸化炭素が増えると起こるらしいから、やっぱりヤマトタケルあたりも排気ガスをじゃん出す車に乗り、フロンガスを使ったエアコンをかけっぱなしにしていたに違いない。


そうだ。

それに間違いあるまい。