
つい先ほどまでは40度近い日の光が肌を焦がしていたが、急に灰色の入道雲が出てきたかと思ったらザーッと落ちてきた。
僕はアーケードに逃げ込み、いつものシャワーをやりすごそうと思った。
が、その日は赤道直下にしては珍しく、しばらく止みそうもない泣き空に変わっていく。
アーケードからコンプレックスに入る。
そのコンプレックスは20階くらいしかない低層ビルで、5階くらいまでは種々の店が鉄格子の中で客を物色するでもなく開いていた。
カレーの香辛料の臭いに引き寄せられて、僕は鉄格子の中に入ってみた。
眠そうな顔をしたインド人がいる。
僕はショウウィンドウの中を、チラチラと見た。
真偽は分からないが、結構ハイクラスの炭の結晶がある。ウィンドウケースの中の大きいものは3カラット前後だろう。
これだけあれば、日本の田舎なら山小屋以上のものが建てられるな、とその輝く炭の結晶を見た。
何か欲しいものでもあるのかい?
インド人がきいてきた。
うーん。こんな小粒なやつじゃなく、このくらいのアレキサンドライトはないのかなあ。僕は親指と人差し指で丸を作った。
無理な注文をしたつもりだった。
雨がおさまるまでの暇潰しである。
が、なんと彼の目付きが変わった。
マスター、こっちへ来てください。
彼は白手袋をはめ、僕を奥の部屋に導く。
まずい。
面倒なことにならなければよいが。
背中で、ウィーンと鉄格子が閉まっていく音がした。
彼はおそるおそる赤い箱を持ってきた。
これならどうです。
ギャッ!
なんとそこには、アーモンドくらいの鈍く光る赤い石があった。ブリリアントカットではなく、アーモンドの縁を小さな六角形でカットした粒だ。
僕はあえて平然を装う。
ちょっといいいかい。
そう言いながら、僕は無造作にそれを摘み、手のなかに暗がりを作り覗いた。
血の赤が深い緑に変わった。
まずい。
これ本物だぜ。
日本での売値なら、田舎に大豪邸+αが建つ。
で、いくら?
安くしとく。
他なら500000ドルだが、うちなら300000ドルでいい。
ほう。確かに安い。
ポッケに200ドルくらいしかない僕は、悠長に言った。
しかし、なあ。
いや、200000ドルでいい。
インド人が言う。
うーん。
ワイフに相談してからまた来るよ。
独り身の僕は、嘘つきの達人と化した。
LCクラス8カラットという、大きさはさほどではないがとんでもないハイクラスの炭の結晶を見せてもらいながらも、僕は無事鉄格子の店から出られたのだった。
しかし、後にも先にも、あれほど大きなアレキサンドライトは見たことがない。20カラットくらいあったろう。
最近アメ横でアレキサンドライトと名うった石を見たが、もちろんショウウィンドウごしであり、例のものの10分の1以下のサイズだったが、値段だけは似たり寄ったりのものだった。
しかも、あまり品質のよさそうなものではなかった。
アレキサンドライト。
いかにも古代エジプトと関係のありそうなこの石。
実はつい最近発見されたもので、クレオパトラにもエジプトにも全く関係がない。
けして炭結晶のような輝きはないが、その奇妙な光、希少性から、VSクラス以下の炭結晶よりも高価である場合もある。
また、3カラット以上の自然石は、極めて希少性が高い。
★
これは小説です。
まっ、7、8割方、似た経験はしましたが。
またこれは別の話になるが、あるところでアレキサンドライトなんざいくらでもあるというのでついて行ったら、ガーネットのクズ石の山を見せられたこともあった。
日本では宝石と呼ばれる石は極めて高い。
しかし、その加工技術やセンスは素晴らしいと思う。
時々お邪魔するブロガーさんは、石の魔術師をされている。
実は私はその魔術師ブロガーさんのような石の魔力は信じないが、石に魔力を与える人の魔術は信じている。
いや、魔力というより能力だろうか。
ただし、それを身につける人が魅力的だと感じるならば、そこには魔術、魔力かあるということになる。
それはちょうど、お化けや神様のようなものだろう。
お化けも神様も、信じているならば、それは心の中には存在することになるから、それを否定してはなるまい。