
私のトルコ語の先生で、テレバッシー受講させていただいている、マスコミに出るようなあやしい専門家ではなく、正真正銘の中東言語のプロがトロイあたりの苦茶について書かれていた。
おお、私もイズミールかイスタンブールあたりの空気を味わいたいものだと思っていたところ、トロイからわずか10,000キロメートルしか離れていない越南から苦茶が届けられた。
早速、禊をし神前にて越南式にて苦茶を給ひ候。

越南といえば、蘭奢待。
足利義満、織田信長、明治天皇など、限られた人しか削り取らなかった、現在ではほとんど入手不可能な天下の宝物。
天皇、将軍を除けば、織田信長のこの所作は異常を通り超したものだ。
香ばしき越南苦茶をいただくにあたっては、それなりの茶器も必要と考え、この織田信長ゆかりの茶器にていただいた。
その由来を簡単にばご説明しよう。
織田信長が愛犬柴次郎が、毎日の散歩の際必ずや臭いに酔い痴れ、はからずも片足を上げたるおおかうじの木ありて、このおおかうじを食べたる草鞋持ちが、その種をば吐き出したる庭におおかうじの芽出でて、かのおおかうじを描きたる絵師の下女なる娘が、やがて東国に嫁ぎしおり、絵師より頼まれし手紙を焼きたる殿より三里ほど離れたるを山の土を使いて焼きたる名器を見た、という翁の曾孫の曾孫の曾孫の曾孫の曾孫のともがきが作なしとか。
さすれば、これは天下の迷器にやあらむ。

曼陀厘なる渋茶はいささか不得手にて、太郎冠者の掟破りて、ぶすのあまた入れにけり。
飲みて後は、かかる貴重なる苦茶に感謝し、神棚に奉り先祖代々にご報告し候。