春が立つ ★節分と立春 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私は



春にしても夏にしても、あるいは秋、冬にしても、とにかく、季節というものは来るのではなく立つのである。


このあたりを調べてみた。
今からさることおよそ1200年前の、万喜三年。
時の陰陽博士は、従七位下藤原清時である。

この日は、五節句同様、人の健康とハレ・ケに関わる重要な日だ。

しかし、都は昨年から続く寒波と度重なるおおなゐのせいで、腹だけは異様に膨らませているが、あばら骨が突き出る病人で溢れていた。


帝のはからいで、従八位以上の館ではツイナには館の外に豆を撒き、空腹に喘ぐ民への施しを行うよう沙汰があった。しかし、もともとぎりぎりの生活をしていた清時には、その豆を買う銅さえなかった。

豆を手にした一部民たちは、それを争って干からびた皮膚に命を短くする引っ掻き傷を作る。

世は一層灰色に変わっていく。



年のはじめにかかるあるはすさまじ。なんじゃう春の来るを教へ、民の心安からむことやあらむ。


そう思った清時は、せめて民に春が来たことを伝え、あと少し頑張れ。もうすぐ暖かくなるし、野蒜も萌えてくる。桜も咲こう。 待つのだ。あと少しだ。

そう言いたかった。



清時は陰陽寮の門前に、“けふより春なり。はや寒さは峠越えたり”と書いた大きな看板を立てた。



これより後、春の始まりには、陰陽寮に春を告げる板が立つことになった。



何年かすると陰陽寮の門前には、寒空の中で春の文字が書かれた板が立つ日を待つ民が並ぶようになっていく。





どうだ。春は立ったかい?
いや、まだだなもし。



そんな会話もされるようになっていくのである。















と、大嘘の立春起源を書いてみました。

真面目に読んで下さった方々。

ごめんなさい(笑)。