デートであろうがデッドであろうが、 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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あからさまな嘘にはがっかりさせられた。

あからさまでない嘘なら、嘘を楽しめる余裕があった。


さて、自分がそんな狼じいさんになる前に書いておこう。


私は基本的には、特殊な場合を除けば嘘は嫌いであった。


が、嘘の上に嘘を重ねることは見苦しく、また哀れに感じたりした。

さらに、それを指摘すると逆切れしてしまう姿には、哀れみしか感じ得ず、納得はむろん理解にさえ及ばなかった。




が、ここ2、3ヶ月。特にここ1週間くらいで、初めて知ったことがある。

昨夜もさらり触れたが、嘘には故意の嘘と、自分さえ理解していないかも知れない嘘が本当にあることを理解したのだ。


これは驚きである。

私は嘘の大半が故意の、あるいは悪意あるものであると考えていたからだ。

私の場合は、仮にそれを指摘されても反論はしない。
いや、今はしないだけの頭があるが、ひどくなるとどうなるか分からない。たぶん、暴力的にはならぬだろうが、人により、あるいは環境や体質により、または無意識の自己防衛のために、暴力的、破壊的行動に出てしまう場合もあるのだろう、と思った。


これは昔から頭では理解していたが、どうしても納得はいかなかった。

が、最近は、理解から納得に近づきつつある。

これは、ある意味成長だが、ある意味恐いことだ。


知らない世界を知り、納得してしまう。

あまりよいこととは思われない。


知らない世界を知ることは、特殊な場合以外はいいことだと思っている。もちろん、知らない方がよいこともあるが。

ただし、知らない世界を知ったからといって、それに納得してしまうことは、極めて危険な歩みである。




さて、話が暗くなりそうだから話題を変えよう。



もうすぐ、とは言っても2年とか3年とかいう単位ではないが、終焉を迎える新聞、テレビに少し変化が現れそうだ。

新聞は最期のあがきでギリシャ状態たが、テレビはまだまだアメリカである。

テレビの製造界のみならず、テレビ界そのものが断末魔の叫びをあげている。

それほど遠くもない将来、テレビは過去の遺産となるだろう。

テレビ界も,薄型に始まり3D、双方向性と戦略を使い果たしたようだ。本物の3Dテレビは、おそらく数十年は庶民には無関係だろう。たぶんNASAなどのごく限られた世界でしか視聴できまい。

いずれにせよ、テレビは風前の灯火だ。





ありゃ。ますます暗い話になってしまったぞ。



なんか明るい話題はないか?


TPP。

いや、よそう。一部には笑いが止まらない商売になるが、大多数の人にはマイナスだ。


うーん。ないなあ。いい話。


福島も冷温停止で安全宣言へ。

あっ。もっと暗くなる。これもダメだ。いくら頭の回路が壊れてきた私にも、まだ単純なインチキくらいは分かる。



うーん。困りました。



なんか、楽しい話はないかいなあ。





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哀れな名前、または人間の身勝手がわかる名前のワースト100に入るであろう、ヘクソカズラ(屁糞かずら)