私の学んだ高校は、ガラの悪さでは、一時期国内でも知られた公立男子校であった。
私たちの先輩の多くは、修学旅行というものを知らない。
なぜなら、いつのことかは知らないが、旅行にいけないようなワルとして知られてしまい、修学旅行を自粛していたからだ。
私の時代にはやっと修学旅行に行けるようになっていたが、京都など近畿は御法度。私たちの行き先は九州だった。しかも、泊まった旅館は山奥の一軒家のような場所が多かった。博多あたりは街中に泊まったものの、外出禁止である。
ただ、この高校はへたな私立高校顔負けに、金はあった。
毎年、田舎の一家の年収分くらいの金を出して、各界のトップを講演に招き、演奏者を呼んだ。これは高校生だけにはもったいないと、大半は近くの村人たちにも開放していた。
まだ私が小学生だった頃、東京オリンピックで金メダルを取った、体操の遠藤選手がオープンカーでやって来たことがある。私はそのオープンカーを追いかけ、遠藤選手に握手をしてもらったことは、今でもはっきりと記憶に残っている。
某宗教団体から首取りに賞金が出かねなかった藤原某(高校での講演は生まれて初めてだ、と驚きの感想から始まった)やら、国語だか英語の神様とか言われる講師やら、ダークダックス。
記憶にある方々だけでも、当時の日本のトップ層にいる方々ばかりだった。
ど田舎の高校だが、えらく文化人やら著名人を呼ぶことのできたへんなわが母校は、教育もまた一風変わっていた。
いやいや、一風どころではあるまい。今ならニュースになってもおかしくないような授業がかなりあった。
現国も化学も面白かったが、特に記憶に残るのは地理だろう。今思うに、あの地理の先生は今のどっかの国の、どっかの党の幹事長にも似た方だったかも知れない。私たちは“実は校長より偉いらしい”という噂は耳にしていたが、この先生の授業をするような方は、おそらく今の日本にはいまい。
なぜなら、授業をしない授業だからだ。
私たちにとっては漫才師だであり、いかにチョークを避けるかの運動能力を高める相手であり、いかに黒板消しを頭に落としてやるかの遊び相手だったが、一部の先輩たちはひどく恐れて、あるいは畏れていたのが、今頃になって分かってきた。
さて、この先生と全く正反対の性格で、私が大変迷惑をおかけした実に真面目な方が、私の担任の英語教師だった。
おそらく私が原因で、校長よりも、また、先の地理教師よりも、はるかはるかにに偉く恐い教頭に睨まれ、かなり苦労したに違いない。
これは今更謝ってもどうしようもないが、当時の私は、今よりも自分しか見えないバカ一直線だった。
その先生は私たちをスキー連れていってくれ、また山登りの楽しみも教えてくれた。
この先生の英語は、我が校には珍しく、ちゃんとした授業をした。
記憶に残るのは、副教材のアニマル・ファームだ。
いや、待てよ。
高校でアニマル・ファームはないだろから、あるいは大学の時か?
どちらか忘れたが、私の頭の中では、高3の授業の中でアニマル・ファームを読んだことになっている。
今頃になって、このアニマル・ファームがしっかり骨になっていることに気づいた。
文学音痴で二十歳ぐらいまでSF以外の小説を読んだことのなかった私は、おそらく檀一雄に目覚めさせられ、小松重男に育てられ、比較的最近になって、井沢元彦やら安本美典あたりから氷水をぶっかけられて、昔から古代だの文化だのに興味があったかのような、今の自分がいる。
しかし、今の政府ができてから、特にあの地震以後、私にしっかり取りついているのは、はるか昔に英語で習ったアニマル・ファームである。
今の日本に似てきた。