真面目にノストラダムス その7(とりあえず中〆) | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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参考文献
ノストラダムス予言集
高田勇・伊藤進編訳
岩波書店 1999






3-59

夷の帝国は、そこに無関係な第三者によって盗まれ、
古くからの血筋の大部分が消されていくだろう。

老年の4列目の男が粛清を繰り返していくだろう。
なぜなら、身内の裏切りで、自らも消されてしまうことを恐れるからである。




3-67

命とか金とか名誉とか、あるいは富をさげすむ、

新たな思想のやからたちは、
ゲルマニアの山々の近くで起こることではない(→西洋の話ではない)。

自分の主義主張に従い支持する者たちで、身を固めるであろう。





3-73

不具の者がトップの席に座ろうとしているのだろうか。
身内にもたくさんの政敵があるであろうに。

その男とその国は、ひどい病に蝕まれいき、

あまりのむごい仕業に、傷の癒える時など無くなってしまうであろう。







今回は、特にある国の現状、まあ早い話が今の日本に重ねられそうなものを拾ってみました。


しかし、それにしても、あまりに見事に当てはまります。


私が占いを信じる人間ならば、ああ予言って当たるんだ、占いってすごいとなるでしょうね。




何度も述べてきましたが、へんなやつはかつても今も、似たり寄ったりの行動をするということです。


旧約より古いと思われるメセポタミアやエジプトの書物などを見ると、人間の考えは、たかだか数千年ではほとんど進化していないことがわかります。


デタラメ・インチキ広報で、庶民を操る術も。

それに乗ってしまう庶民もまた。



以前記事にしましたが、歴史とは事実を書き連ねたものではありません。

その時の政治が“こういう事だ”という考えに沿って、作られたものです。


日本でこの流れを作った、現在も文書に残る人物は大海人(天武天皇)でしょう。
しかし、古事記などの行間や日本書紀の記述を読むと、日本でさえずいぶん昔から行われていたことが分かります。

古くの中国(今ある国ではない)では、次の政権や王朝が、ひとつ前の政権、王朝の歴史を書く制度がありましたが、今の国では、おそらくこの伝統は引き継がないでしょう。

今ある国と、かつてそこにあった国を、中国という言葉で一まとめにしてしまう。

あるいは、シナという言葉は悪い言葉だと信じこませる。

これも、教育の恐ろしさでしょう。


もし、シナを差別語であると批判するなら、フランス語や英語等々多数の諸外国の言葉はどうなんですかね。

フランスやイギリス、アメリカ、東南アジア、中東諸国の呼び方も変えてもらわなゃならないでしょうね。
国名と地域名という考え方もできますよ。


とにかく、日本は敗戦国。

いまだに、ここから変われない。

その意味では、まだ戦後は終わっていません。