
海という言葉は、時化という言葉同様、中東あたりから伝わってきた言葉でしょうね。
日本語には、基本的に複数名詞がありませんから理解しづらいですが、海が荒れることを意味する中東言語の複数形に、ジイカまたはジイケというものがあります。
海は、エジプト語にも似た音ymがあります。
ただ、これは中東からの帰化語であるようです。
中東、とくにアララト山を望む現在の北イラクにあった、古代巨大都市アッシリアの首都ニネベ(一部学説では、バビロンの空中庭園もニネベにあったとする)あたりからは、海とは西にある地中海を意味しました。
だから、ymには、海同様に西を意味するニュアンスもあります。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の親であり預言者でもあるアブラム(のちのアブラハム=アブラハム・リンカーンのアブラハムに同じ)が生まれ育ったのは、このニネベと地中海途中にあるハランという町でした。
この子孫がエジプトに移り住み、一時はエジプトの大臣まで輩出するようになります。
しかし、その後しばらくはエジプト奴隷としての生活を余儀なくされ、伝説のモーゼ(マシャ)による出エジプト、いわゆるエクソダスまでは最下層種族として、物並みの生活であったようです。
このymという言葉は、彼らによってエジプトに輸入されました。
やがて、ymは西にある海ではなく、西に広がる砂漠の海、つまり黄色いかげろうの海を意味するようになっていったのでしょう。
古代エジプトの宗教では、朝東の空に生き返った太陽が死ぬのが西の空でした。
夜にはバー(カー)により、再び蘇生した太陽が東から顔を出してきます。
つまり、西は死を意味する言葉でもあり、事実、王家の谷と呼ばれる歴代王の墓は、ナイルを挟んで西の方にあったのです。
まとめましょう。
ymとは、西の黄色い砂漠の海にある死の世界。
これが、黄泉(黄色い海)と書いてヨミと読ませ、死者の国を意味する理由です。
日本語では、これ以外に黄=ヨ、泉=ミという読みはありません。
つまり、これは発音を漢字にしたわけではなく、意味を漢字にしたものです。
これに似たものに、日下(くさか)があります。
これは学会の説でもなければ、どっかの雑誌の説でもなく私が考えたものですから、そのへんはお間違えのないようにお願いします。
ですから、こんな説あるぜとか言っても、笑われるだけかも知れません。
なお、古事記は、本文より編集者(太安麻呂)の前書きをしっかり読むべきでしょう。
彼の苦しみが見えてきます。
半分は学者としての純粋な悩み、そして残りは人間としての良心の呵責みたいなものをです。
本文より、こちらを深く読むべきかなあ、などとも考えるこの頃です。
しかし、咳が止まりましぇん。困りもうした。
まだ、熱がないだけいいが、お腹の筋肉が痛い。
でも、しっかりタバコは吸って、高率納税には協力いたします。