神楽について考える | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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実家から子どもの足でも5分とかからぬところに、小さな神社がある。

これは、前の記事で紹介した延喜式内神社である大前神社とは、格も歴史も比べようがない。
また、境内自体も慎ましやかなもので、大前神社など県社レベルの本宮脇の分社くらいしかない。

が、秋にもようされる神楽は、なかなか立派なものだった。

小さい頃はそれが当たり前だと思っていたが、今考えると、お面や鈴などはたいへん芸術的なものだ。

過疎化の例に漏れず、この神楽を継ぐ世代が少なくなり、かなり苦労しているようである。



ところで、神楽とは何であろうか。


子どもの頃の記憶をたどりながら今の知識で考えると、どうも日本の支配が大きく転じた史実を、舞として残している気がする。


天照大御神、天之宇受女が主人公の天岩屋、猿田彦と天之宇受女の契約、大国主及び事代主の天照系への国譲り。

その間には、おかめとひょっとこによる性教育(というより、観客に笑いをもたらす遊び心だろう)。


今ではぼんやりとしか思い出せないが、少なくとも上述の舞を、すべて男がおこなっていた。

最近は人手不足のため、女性の笛だか太鼓を許したらしい。


神楽は古代歴史の記憶だろうと述べた一方で、ある意図を持って流布、普及されたものであるという可能性も否定はできない。

いや、全国津々浦々に同じような神楽が伝わっていることから考えれば、むしろそう考えるのが普通だろうか。



換言すれば、神楽は創作された歴史の伝承、とも言えるかも知れない。


しかし、こればかりは事実を確かめようがない。

わずかな可能性として、最後まで天照に反抗的だったらしい諏訪神あたりを詳しく調べれば、少しは史実に近いことも分かるかも知れない。

諏訪神社の、御柱祭が気になるところだ。

また、諏訪より北の安曇野あたりは海洋民族が住み着いたところ、というのが学会の常識らしい。


安曇野については双体道祖神くらいしか知識がないが、国産ひすいの産地に近いことも考え合わせると、なかなか興味深い。




まとまりがなくなってしまった。



皇居で執り行われる隼人舞、蘇我入鹿が暗殺されたとされる事件(大化の改新→無かった、創作だとする学者もいるようだ)の前に入鹿が行った舞など、神楽に関する謎はたいへん多い。