実家の近くにあったにも拘らず、私は昨日初めて訪れました。
昨日も言いましたが、まずはその造りです。

伝安土城の天守閣に似た最上階が、特に特徴的。
また、前面の瓦の配置や形も独特です。

長蓮寺は時宗の寺で、開創は鎌倉中期らしく、それほど古い寺ではありません。
伝説では、時宗二祖・真教上人により開かれ、後醍醐天皇従兄弟・尊観法親王がここに住持したとあります。
江戸に入ってからは春日局の元夫・稲葉藩主の地の鬼門を守る寺として、かなりの厚遇を得ていたようです。
ここにある日本一と言われる弁財天も、元々は浅草寺に安置されていたもので、赤穂浪士討ち入りの際にも、大石らが念願成就を祈願したというものです。
なぜか、元禄時代、弁財天が自ら隅田川を下り、江戸湾から鬼怒川を登ってこの地に安住の地を得たことになっていますが、もちろんこれにはそれ以外の力が働いていたことでしょう。
また、おそらく、開創からではなく、室町、あるいは稲葉氏以降の江戸時代からのものと思われますが、隅切りに三の紋は、いささか驚きました。
歴史大嫌いの次男も知っている、比較的馴染みの深いものでしたから。
また、金ピカの弁財天は好みではありませんでしたが、半分壊れかけている龍灯籠は、素晴らしいものでした。

さらに、中央の弁財天の脇に地蔵、さらにその脇に大黒天(現在の日本では大黒天と大国主を同一化してしまっているが、古くは全く別)を置くという配置は、初めて見ました。
寺の解説によれば、脇士として毘沙門天、大黒天、眷属15童子というのは、全面的にも珍しいそうな。
ただ、こちらは私の好みではありませんでしたがね。
神仏習合の影響もまた、強く感じられる寺でありました。

