昔話とエトセトラ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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何千年くらい昔のことかは知らない。


ヒッタイト(今のトルコあたり)には、太陽の勢力が最も弱まる時、つまり冬至に太陽の復活を祈る祭りがあったようだ。
これは同時に、秋の稔りに感謝し、来るべき長い冬への祈りでもあったろう(日本の新嘗祭や秋祭りも同類)。


おそらくこの風習は、エデンと目されるメソポタミア・ウルやバビロニアあたりから伝わった可能性が高い。

日本語では旧約聖書と訳されることが多い、ナザレのイエス以前に書かれた聖書に出てくるノアの方舟なども、ウル文化の影響を受けて創作されたものに相違あるまい。


ヒッタイトなどにあった祭りを、当時は異端の新興宗教である原キリスト教が吸収・拡大する際に、この祭りを取り入れ、現在のクリスマス、及び新年を作り上げていったのだろう。




現在の日本で新年というと、西洋暦の1月1日を意味する。


しかしながら、旧正月の名前が残る通り、かつての中国の影響下にあった、東南アジアや東アジアの大部分の地域では、旧正月こそが年の始まりであり、新暦の元旦は、あまり大きな意味をもたない。


さらに、イエスをキリストとは考えないユダヤ教にしろ、イエスを偉大なる預言者としか見ていないイスラム教、あるいは、それらとはかなり異なった多神教であるヒンドゥー教などでは、また別の新年がある。





かつての、日本における元旦行事、神道における祭事には、一神教と多神教という決定的違いがあるにも拘らず、たいへんユダヤ教のそれに似ている。


また、地理、風土が全く異なるにも拘らず、エジプト王国時代のそれに、内面的なところでうりふたつである。


明治時代に熱心な神道学者がいたが、エジプトに行って以来、全くそれに論説を加えることがなくなってしまったのも、かなり理解できる。

エジプト王朝における神々は、あまりに日本の神々に似た性格だからだ。


さらに、かつては世界一の科学知識を持っていたであろうマヤの人たちの伝説の中には、須佐之男と大国主の騙し合いにそっくりなものがあったりして驚かされる。


かつてマヤを訪れた宣教師が、あってはならぬものをマヤ文明の中に見つけ、それを破棄、破壊してしまったとも言われている。




話があらぬ方向に飛んでしまった。





結論を言えば、新年を現在の1月1日にしたのは、日本でさえ、それほど昔のことではないということだ。



ついでにいうと、日本では新学期や、会社の新年度が始まるのは4月だが、これもそのうち9月に変わってしまうかも知れない。



ええ、冗談ではなく。



その下ごしらえは、十分に整っているのだ。


考え方によっては、この新年度、新学期の春から秋への変更は、大きな経済活動を伴い、GNPを一時的に底上げする。


しかしながら、その先に待っているのは……。














たぶん、近い将来、そんな話も世間を騒がせるだろう。








★どっかのジジイメモにある、ノストラダメッスの大予見より