ブログネタ:身の回りでおきた“ちょっと不思議な事”、教えて! 参加中不思議なことをおっしゃる方がいる。
例えば、キリストの生まれ代わり、とか言っている方を例にとってみよう。
日本人でこうおっしゃる方は、不思議なことに日本語や英語が得意だったりする。
キリストが誰であるかは難しい問題だし、過去に現れたことがあるのか、まだなのかという宗教的な難題はおいておこう。
おそらく、“わたしはキリストの生まれ代わり”とかおっしゃる方のほとんどは、ナザレのイエスのことを指しているやに感じる(あまり宗教の知識がありませんから、間違っていたらご指摘ください)。
仮にナザレのイエスならば、アラム語かその近隣の言葉で考え、話していたはずである。
間違っても、現代日本語や英語のような、当時生まれていなかった言葉を話していたはずがない。
しかるに、かような方は、実に日本語が上手い。
で、ここで疑問が湧く。
ナザレのイエスなら、なぜアラム語で話さないのかと。
と、ある方はこう言ったそうだ。
過去の記憶は消えてしまうのだと。
はあ?
何をバカなことをおっしゃいますか。
もしそうなら、万が一生き返りを信じたにしても、自分がイエスだったかどうかさえ忘れてしまうはずではないですか。
自分がイエスだったという記憶は、過去の記憶があるからゆえでしょう。
なぜ言葉だけ忘れてしまうのでしょうや。
だいたい、あなた方の“聖書”には、“まず、言葉ありき(日本語版聖書)”ではなかったのではないですか。
自分があるのも、神があるのも“言葉”という道具があればこそでしょう。
さすれば、キリストという尊大なる名前をお持ちの方なら、自分がキリストと呼ばれた(かどうかは不明だが)時代の自分が使っていた言葉で話すことなど、数々の奇跡に比べたなら造作もないこと。
いや、できてあたり前ではないですか。
どうして、日本語や英語のような未来の言葉が話せるのに、自分の時代の、自分の育った地域の言葉を話したり書いたりできないのでしょうや。
さっぱり分かりません。

これは、シャカの生まれ代わりとおっしゃる方が、サンスクリット語どころか、ヒンドゥー教についての知識がほとんどないような、全くと断言してもよいくらいあり得ないことや、アッラーの使者を自認しながらも、ナザレのイエスを敵のように考える(イスラム教では、ナザレのイエスも偉大なる預言者だ)方がいるなどと同様に、全く呆れかえるばかりの事柄です。
アラム語さえ話せずに、“わたしはキリストの生まれ代わり”だとか、サンスクリット語も書けずに“わたしはシャカの生まれ代わり”とか言うなかれ。
あっ、ついでに言わせていただきますと、“わたしはモーゼの生まれ代わり”なんておっしゃる方。自分の名前くらい、あと少し自分の名前に近い発音で名乗られたらいかがでしょうか。
もうひとつついでに言わせていただきますと、神武や応神の生まれ代わりとかおっしゃる方!
あなたは、自分の名前さえ知らないのですか?
嘘をつきたいなら、あと少し学びましょう。
あまりにも悲しい嘘です。
日本は平和ですし、日本人はのほほんです。
そんな日本人が、私は好きです。
でもね。世の中には、口ではすべて命を大切にとか言っておきながら、人の命は別の話、ということもありそうですよ。
と、馬鹿馬鹿しいことを、真面目に怒ってみました。
★追記
大嘘つきの方々へヒント&質問です。
キリストって、人の名前なの?
仏陀って、誰がつけた名前?
モーゼって、人の名前?
神武とか応神って、いつ誰がつけた名前?
聖徳太子って、誰がいつつけたのよ。
菅公が天神なら、天神でいいのでは?
なぜわざわざ、仮の名前をお出しになるの?
倭国の卑弥呼?
おいおい。あちゃらの人が、ちびっこ村の鼻ったれ女酋長とか呼んだ名前を、そのまま使いますかい。
もっと分かりやすく言いますよ。
例えば、田中さんという日本人がいたとして、生まれ代わったら、わたしはディエンチョンでした、なんて言うのですか?
あるいは、わたしはトウショウヘイの生まれ代わりなんて言うの?
一度も呼ばれたことのない名前で。
はあ。
バカを言うのも、いい加減にして欲しいものですなあ。
まるで、今の政府みたいですわい。