宇宙は膨張しているという。
この宇宙に果てはあるのか?
また、果てがあったなら、その外側は?
アメブロでは、かなり有名なブロガーさんが投げ掛けた疑問だ。
この答えは、昔からよく言われている。
それは、私たちの宇宙は【果てがあって、果てがない】のである。
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はあ、さっぱり分からない。
まあ、それが正直な思いだろう。
さあ、一気に宇宙の話では難しいので、簡単な例で説明していこう。
映画のスクリーンを思い浮かべて欲しい。
そのスクリーンには、確かに映像があり、人の姿が映っている。
しかし、その映像の人物は、どんなに頑張っても、こちらの世界にやってくることはできない。
つまり、スクリーンの中の人物にとっては、そのスクリーン、つまり2次元の世界がすべてであり、3次元のこちらの世界には来ることができないし、また、想像することさえできない。
はやい話が、スクリーンの世界には、平面の世界においては果てがある。
が、3次元の者から見たなら、そのスクリーンの外側は無限の世界があるから、果てがないことになる。
私たちの宇宙には、果てがあるけれども果てがない。
この言葉の意味も、この例に似ている。
現在の科学を信じる限り、私たちは光の速度以上を得ることはできない。
つまり、光の届かない先は認識できないため、私たちが理解できる世界は存在しない。
しかし、それは私たちが3次元(時間を入れると4次元)にいるからなのであり、文学的意味合いではなく、物理的意味合いにおいてより高次元にいるなら、私たちの宇宙の外側(この表現は間違っている。正しくは、無数に折り畳まれた宇宙だが、わかりにくいので、こう表現する)には、無限の宇宙があるのだ。
別の言い方をすると、カナブンがどんなに頑張っても、月までは飛んでいけないことにも、ほんの少し似ている。
私たち人間が宇宙の果てについて考えることは、北極熊が、太陽の中で遊戯をすることにも似ているかも知れない。
ただし、人間宇宙学という学問の観点からすると、宇宙があるのは、人間の認識しだいとなり、簡単な数学で楽しい話につながっていく。
が、これは原子や電子、あるいは宇宙について少し知識がないと、面白さが理解できないだろう。
今回は、その話は割愛して、お開きとしたい。
“宇宙には果てがあるが果てがない”というのは、単なる言葉遊びではないということだ。