そのホテルは、道玄坂を国立美術館の入り口前で下って、すぐのところにある。
重陽の声がテレビで流れるようになってからというもの、暑さも気を使ってくれているのだろう。
夕暮れの風が、心地よく襟元を撫でる。
女は、いつものように回転式のドアをくぐった。
受付の中年の男が、慇懃にお辞儀をし、振り返ってカードキーを差し出す。
ご利用、ありがとうございます。
と、小声で言う。
週に1度は利用しているが、ご利用ありがとうございますの前に、“いつも”をつけないのは、男の優しさであったあろう。
と、女の体がわずかに揺らめいた。
履き慣れたフェラガモが、優しく支える。
大丈夫ですか?
さきの中年男が、軽く肩あたりに手を添えた。
その男の鼻腔を、かすかなポイズンの香りがくすぐる。
ありがとうございます。
海で、はしゃぎすぎたかしら。
身長167センチメートル。
女としては、かなり背の高い方だ。
ふくよかな胸が、自然に衣服の流れの中に消えてしまう着痩せするタイプの女は、少しいかつい肩をすぼめ、長い髪を左手でゆっくりと撫でながら、誰にともなく言った。
ああ、今日も待つだけなのね。
そして、お人形さんのように座っているだけなんだわ。
女は、エレベーターのボタンにタッチしながら、軽くため息を吐いた。
おわり