聞いた話、ということにしておくれやす | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私の大変身近なところにいる、ある人は、人権擁護委員というものをしていた。


人権擁護委員とは、地方自治体の推薦のもとに、法務大臣が委嘱するものだ。


彼らの給与は支給されない。

いわばボランティアである。


そうした人たちの幸せとは、一人でも笑顔になってくれることに相違あるまい。



ありがとう。

その一言で、心が満たされたのだろう。


もちろん、それを期待して働いているわけではない。

もし、そのような有形無形の見返りなどを期待していたなら、とてもやれない仕事に違いないからだ。


誰かを助けたりすること自体に、喜びを感じるのだろう。


ありがとうの言葉に、心がさらに満たされるのは、ラッキーな副産物でしかない。




身内ながら、私はそんな人がいることを、今朝方、改めて誇りに思ったのだった。


そんなことがあった。




ただ、ヤクザな私には、これ以上は無理のようだ。


やっぱり、人間ができていないなあ、と自分を鑑みてみる。





さて、話を戻そう。

その人は、今でも先生と呼ばれ、今年の盆には、特殊な理由もあったが、300人を超える訪問者があった。



以前ブログで、山頭火の絵を模写した色紙を紹介したことがある。これは、相田みつをの友人でもあり、また彼と並ぶと言われる、教え子からいただいたものだ。


その方とは私も掘りごたつ式ちゃぶ台で話したが、知らぬ人が見たら、普通のおっちゃんである。





が、目は澄んでいた。

また、内側からくる暖かさが見えた。





また、やはり身近な方は、かつては労働基準局に勤めていたが、今は地方で人権やら労働者の権利やらなんやらの講義のかたわら、野菜作りに励んでいる。


彼の目は、物づくりの喜びに溢れていた。



二人を身近で見ていた私だが、かつてはけして経済的に豊かではなかったものの、へこたれたり、すねた姿を見たことがなかった。


今は経済的な不安もなく、人生の幸せを味わっているやに見える。



この先生と呼ばれる人の長男は、入社二年目にして、校長を決める仕事をしていた親のボーナスと肩を並べたが、ヤクザな性格が災いしたのか、エリートコースを自ら降りて、未だに棒にも箸にもかからないような生活をしているようだ。

いや、年々ひどくなる生活らしい。


が、田舎を守る次男は地方でもそれなりの仕事をしており、その子たち、つまり件の先生の孫たちはいずれも国立大に進学し、人物的にも素晴らしく、安泰な生活が約束されていよう。


海外を飛び回っていたためか、結婚が遅れたヤクザな兄の子どもたちはまだ小さいようだが、こちらの方も、頭はパッカパカーだが、なかなかの大人の心を持つ人物になっている、と聞いている。





まあ、世の中とはそんなところだろう。




聞いたところでは、まだまだ俺は人生経験が足りないわい、とヤクザな兄の方がぼやいていたらしい。



まあ、あっしはいつもの如く妄想世界の夢の中にあったから、詳しいことは分からないですがね。