お正月になると、老人が餅を喉に詰まらせて他界する、というニュースが毎年流れます。
これは、年とともに嚥下する力が衰えてくるからです。
早い話が、なかなか一気に飲み込めなくなるわけです。
ですから、年をとるに従い、人は物をゆっくりゆっくり噛み砕き、少しずつ喉の奥に送り込んでいかなくてはなりませんし、また、自然とそうなっていきます。
ところで、私は盆あたりから、ずっと喉に引っ掛かっているものがありました。
それは、ハマチノコの小骨です。
そうそう、ハマチノコというのは、ハマチの子のことではありません。
若い頃は、ホオジロザメと並ぶ狂暴な魚の代表でしたが、年を取るとジンベイザメに似て、大海の中をゆったりと泳ぎ回っていた魚のことです。
先日このハマチノコが網にかかり、その煮っころがしをいただいたのですが、調理を手抜きしたためか小骨があり、それが私の喉に引っ掛かってしまっているというわけです。
正直、老齢のハマチノコが網にかかること自体珍しく、また、漁師の間では、そのような場合、海に戻すのが慣習でした。
では、なぜ、今回は見逃さなかったのでしょうか。
そう考えると、余計に喉の周りが思い出したようにチクチクし、イライラしてしまいそうでした。
が、幸か不幸か、少し考える時間ができました。
と、そんな時、瓦版の親方衆が、お役人に呼ばれて叱られるという事態が発生したのです。
瓦版がお叱りを受けたのは、遠国見回り衆の路銀の使い道を、ああでもないこうでもないと書いたことについてです。
遠国見回りには、なかなか表に出せない銭が必要です。
ですから、この銭はお庭番と同様に、代々のお殿様の側近だけが取り締まっていて、お殿様でさえなかなか手を出せません。
瓦版たちは、この遠国見回りにかかわる路銀が、リュウグウノツカイで知られるエラブ国の懐柔に使われている、と触れ回ってしまったのです。
その路銀がエラブ国に使われようが、吉原で使われようが、本当はどうでもよいことなのです。
では、なぜ、瓦版たちは、お叱りを受けてしまったのでしょう。
それに、ハマチノコが関係してくるわけです。
というのは、お国替えで今度お殿様になられた方は、とある筋から、遠国見回り路銀をすべて明らかにするように迫られていたからです。
その為には、古い制度のアクタを民衆に顕にし、その声を持って大鉈を下ろすつもりでした。
白羽の矢を当てたのがハマチノコです。
ところが、話がエラブ国の方に飛びそうなことを、瓦版たちがやらかしたわけです。
これは、大変困ることなのです。
エラブ国に関しては、今度のお殿様になってからずっと迷走を続けてきました。
もうこれ以上、面倒なことは起こして欲しくはありません。
だいたい、当初のもくろみである遠国見回り路銀どころか、手を付けて欲しくなかった、お庭番の銭の使い道まで話が広がるかも知れません。
さらに恐いことは、まだ瓦版も遠慮して触れていない、寺社奉行勘定にまで話が広まってしまうかも知れません。
これは、絶対に阻止しなくてはいけないことです。
まだ、私の喉のイガイガは残っていますが、なんでハマチノコを煮っころがしにしたのかは、少し見えてきたような気になるのでした。