私も、多くの皆さん同様にズルはしましたな。
でも、下手くそなのがいました。
黒いヤツを被っていた男だったと記憶しています。
とにかく私の学年は3人に1人が留年しました。
もともと私の大学は、入るのは赤門みたいに狭くはないのですが、留年率は旧なにがしとかいう大学ではトップ(あまり名誉なことじゃないかな?)。
とくに私たちが教養部から学部に上がるときには、学内に制服、私服が入り乱れ、5人以上集まると集団なんとか罪を適用されるとあって、うかうか麻雀の相談もできませんでした。
学部生になる前の教養部の時から、あらかじめ将来の学部に沿ったクラス分がされていて、我が3組はおとなしいクラス。
キスの仕方などを講義する面白い英語教授を学園祭に招き、“学生に招かれるのは初めて。感激だなあ”などと言わしめるホンワカクラスでした。
ただ、不思議なことに、当時では希有なのほほんクラスなのに、大学にその名を轟かせるような闘志の方もいらっしゃいました。
ノンポリながら比較的目立っていた私は、何色だかに囲まれたことがあります。
そんな時、ある女闘志の方が、無事私を安全地帯に逃してくれたりもしました。
偉いですなあ。
で、中には、ひどく不器用なヤツがいて、普段の主義主張に反することを、誰の目にも見えるところでやってしまった。
私のようなノンポリ、のほほんあんちゃんではないから、これは深刻なわけです。
その後、彼の姿を見たことはありません。
まあ、今なら当たり前のことかも知れません。
が、当時は、オカシナ事は許されませんでしたしね。
また、自分でも許せなかったかも知れませんね。
今思うと、私も真剣にのほほん族をしていた気がします。
またまた、赤ちゃん時代の想い出話でした。
なぜ、こんなことを思い出したかといいますと、少なくとも当時の私たちには、恥を知るという心があったと思うからです。
何色だろうが、のほほんだろうが、自分の尻くらいは自分で拭いていた気がします。
まあ、私も今や、人のことをとやかく言えませんがね。