赤ちゃん時代の想い出 2 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

私も、多くの皆さん同様にズルはしましたな。


でも、下手くそなのがいました。


黒いヤツを被っていた男だったと記憶しています。

とにかく私の学年は3人に1人が留年しました。

もともと私の大学は、入るのは赤門みたいに狭くはないのですが、留年率は旧なにがしとかいう大学ではトップ(あまり名誉なことじゃないかな?)。

とくに私たちが教養部から学部に上がるときには、学内に制服、私服が入り乱れ、5人以上集まると集団なんとか罪を適用されるとあって、うかうか麻雀の相談もできませんでした。


学部生になる前の教養部の時から、あらかじめ将来の学部に沿ったクラス分がされていて、我が3組はおとなしいクラス。

キスの仕方などを講義する面白い英語教授を学園祭に招き、“学生に招かれるのは初めて。感激だなあ”などと言わしめるホンワカクラスでした。



ただ、不思議なことに、当時では希有なのほほんクラスなのに、大学にその名を轟かせるような闘志の方もいらっしゃいました。


ノンポリながら比較的目立っていた私は、何色だかに囲まれたことがあります。
そんな時、ある女闘志の方が、無事私を安全地帯に逃してくれたりもしました。



偉いですなあ。



で、中には、ひどく不器用なヤツがいて、普段の主義主張に反することを、誰の目にも見えるところでやってしまった。


私のようなノンポリ、のほほんあんちゃんではないから、これは深刻なわけです。





その後、彼の姿を見たことはありません。




まあ、今なら当たり前のことかも知れません。


が、当時は、オカシナ事は許されませんでしたしね。

また、自分でも許せなかったかも知れませんね。




今思うと、私も真剣にのほほん族をしていた気がします。



またまた、赤ちゃん時代の想い出話でした。




なぜ、こんなことを思い出したかといいますと、少なくとも当時の私たちには、恥を知るという心があったと思うからです。



何色だろうが、のほほんだろうが、自分の尻くらいは自分で拭いていた気がします。




まあ、私も今や、人のことをとやかく言えませんがね。