この星座も、夜空の中ではかなり影が薄いのです。
というのは、明るい星がないというだけではなく、みずがめ座が見える晩秋からは、オリオン座のように目立つ星座が夜空に現れてくるからでなのです。
さらに、みずがめ座に関しては、どうもギリシャ神話がないようす。
ただし、一説によればバビロニア時代からの最も古い星座の一つらしいですね。
おしまい。
では、もの足りないから、みずがめ座とは直接関係はないけど、水瓶について話を進めていきますよ。
水瓶というと、私はアングルの絵を思い出します。
『泉』という和名がついたこの絵は、子どもの私にはかなり刺激が強いものでした。
が、同時に、水の描写に驚き、ある意味では目標の一人でもありました。
とにかく、水が生きている絵なのです。
アングルは、黒人やトルコ人など、当時はあまり絵の対象とならなかった人たちも、よく題材にしています。
ドラクロアに対抗して、ラ・ファエルロ路線を継承したアングルは、新古典派などと称されるようです。確かに作風はラ・ファエルロに似ていますな。
また、ドラクロアとは、大きく違った作風であることは確かです。
が、彼の絵に描かれる女性の目には、ドラクロアと同じ思いが垣間見えるんだなあ、これが。
蛇足ですが、アングルの描く女性は、生物学的に見ると少し不自然な姿をしていたりします。
『泉』も、よく見ると右足の長さと左足とのバランス、右脇腹から肩にかけてのライン、両方の乳房などに、写実性を疑ってしまう部分があります。
が、これは彼独自の自己主張によるものでしょう。
アングルの自画像を見ると、純粋なアングロ・サクソンやラテンとは違った顔立ちをしていますね。
このへんも、彼の絵に何か関係しているのでしょうか。
そうそう、私のご先祖様は、大きな水瓶を二里の道のりを、えんやこらえんやこら背負って運んできたことがあったそうな。
で、やっとのことで家に着いたのですが……。
どっこいしょ。
と、玄関に腰を下ろしたとたんに、せっかく細心の注意を払って運んできた水瓶を割ってしまったらしい。
なんとも、我がご先祖様らしい話です。
トホホホホ